過去のお勧め本

2004年2月のお勧め本

東京管理職ユニオン編『転形期の日本労働運動』緑風出版 2003年

 日本には「コミュニティ・ユニオン」という形態の組合が存在している。職場で不当な待遇を受けたり、解雇を迫られたりした時に、一人でも入れる地域の駆け込み寺的な組合である。そうした形の組合の一つに、有名な東京管理職ユニオンがある。本書はその東京管理職ユニオンの結成10周年を記念して出版された論文集であり、東京管理職ユニオン関係者のみならず、コミュニティ・ユニオンの活動家、研究者、作家などの論文が収められている。
 日本の企業社会が大きな変質を遂げるなか、労働組合の活動や役割はどのように変っていくべきなのか。これがこの本に掲載されたすべての論文に通底している問題意識であり、賛否両論のなか、笹森連合へと飛び込んでいったコミュニティ・ユニオンの面々の決意表明でもあるようだ。「社会的労働運動」を今後どのように構成していくのか、その意気ごみが語られている。ただ企業主義的な組合を賛美し、本書の意図からすると的はずれとしか思えない経営コンサルタントの論文もないわけでもないが、しかしそれも組合員一人一人の見解を大切にし、自由闊達な議論が行われていると言われる東京管理職ユニオンの組織文化を反映したものであろう。ポスト企業社会の新しい労働運動の方向性を考える一助として、ゼミ生たちには是非読んでもらたい。
2200円

2004年1月のお勧め本

島本慈子『ルポ解雇』岩波書店 2003年

 解雇という事態が身近な世界になろうとしている。経済学によれば労働(力)も商品の一つでしかなく、需要と供給の関係によって価格が決定され、過剰な部門から過小な部分へ市場メカニズムを通して、再配分がなされなければならず、解雇というのはその一つの形でしかないことになろう。しかし、問題なのは労働(力)というのは、常にそれを担っている人と切り離さることのない商品であることである。家族や生活という問題があり、また人としての誇りという問題さえからんでくる。
 本書は現代の雇用が抱えている問題として解雇や有期雇用を取り上げ、その日本の現状をルポしている。また解雇を容易にし、有期雇用を拡大させようようとしている政治や行政を取りあげるのみならず、司法の場での問題も取り上げ、はたして労働問題において裁判所は公平と言えるのかという問題を提起している。現在、雇用を巡ってどのような事態が進行しているのかを知るのには格好の図書である。
700円

2003年12月のお勧め本

マイケル・ムーア監督『ロジャー&ミー』ワーナー・ホーム・ビデオ 2003年

 今月は本ではなくてDVD。今年「ボウリング・フォー・コロンバイン」でアカデミー賞を受賞し、その受賞式でブッシュ政権をこきおろして、一躍名をあげたマイケル・ムーアが、今から15年前に撮ったドキュメンタリー映画。
 当時、アメリカの自動車産業は日本車との熾烈な競争を行っていた。そのため、古い工場を閉鎖し、賃金の安い南部やメキシコに移設していた。監督の出身地であるミシガン州フリントでも同じであった。GMが次々と工場閉鎖する中で、人々の生活が破綻し、コミュニティが崩壊していく様子を描いている。産業の空洞化が進行している現在日本でも現在同じ状況が進んでおり、企業とは何か、地域や人にとって仕事とはどのような意味を持つのかを考えさせるドキュメンタリーである。
2980円

2003年11月のお勧め本

久本憲夫『正社員ルネサンス』中公新書 2003年

 「規制緩和」や「雇用ポートフォーリオ」の掛け声の中、正社員を非正規雇用に置き換えていく流れが進んでいる。流通業界ではパート店長が登場し、製造部門では派遣社員の解禁されるなど、非正規化というトレンドは留まるところを知らない。
 この本はそうした流れに竿さし、雇用の安定性や能力開発の観点から正社員の価値および多様な正社員のあり方の必要性を唱える。これまで日本の雇用を肯定的・楽観的に捉えてきた著者が、現状に対して批判的な観点から検証しており、読みがいがある。
740円

2003年10月のお勧め本

斎藤貴男『機会不平等』文芸春秋 2000年

 貧富の格差が拡大する新しい階級社会が到来したとして、恵まれない子供たち、老人、派遣労働者といった虐げられた人々の窮状を赤裸裸に描いたルポ。労働問題に限っても、セクハラ運動会を断われない派遣労働者の弱い立場、会社の秘密組織と大企業労組との関係など、弱者に一方的にしわ寄せされる日本社会の問題を描き出している。
 なによりも筆者が案じているのは教育であり、教育政策立案者の中に優生学が復権していることを告発する。基礎学力の低下を招いている批判される「ゆとり教育」の背景に愚民化政策を見いだし、「機会の平等」さえ消えさろうとしている現状に警鐘を鳴らしている。自由市場万能主義が謳歌する日本の影の側面を描いた力作。
1619円

2003年9月のお勧め本

宮本みち子『若者が社会的弱者に転落する』洋泉社 2002年

 フリーター問題を考える際に、主体と構造とからバランスの取れた態度が要請される。このどちらの視点を欠いてもリアリティのある若者の職業観や就労行動を捉えることができないであろう。
 家族社会学の視点を中心にして、現代の若者の抱えている問題に取り組む著者は、かつては優雅なモラトリアムと捉えられていた「ポスト青年期」の若者たちが、社会構造の変動によって不安定な立場に追いやられているうえに、その危うさが「自己選択」の美名の下に日本の社会では隠蔽されていると警鐘をならす。また主体の側では、自立能力を欠いた若者の登場は「友達親子」に象徴されるような家族のあり方背景にあるとしている。
 同じく若者問題を抱える欧米の理論や実践を紹介しながら、現代の若者の問題にメスを切り込んでいるこの本はフリーター問題を考えるための一助となろう。
720円

2003年8月のお勧め本

神野直彦『人間回復の経済学』岩波新書 2002年

 経済というのは社会のサブシステムの一つにすぎない。人はお金や市場のために生きているのではなく、それらは生きるための手段でしかないのである。しかし、このことは往々にして忘れさられがちである。
 財政学者であるこの本の筆者は、新自由主義を社会を経済の手段として貶める考え方であると厳しく批判する。そして現在日本で進められている「構造改革」も新自由主義的改革以外のなにものでもないとして、誤った方向にハンドルがきられていると警鐘を鳴らしている。筆者の見るところ、現代は工業社会から「知識社会」への転換期なのであり、別の形の改革が必要であるとしてスウェーデンの試みを紹介している。
 知識社会への転換期というのはいささか使い古されたテーゼのような気もするが、人間こそが社会の中心であり、経済の論理から人間の論理への転轍をはかるべきとする筆者の見解に学ぶべきものは多い。
700円

2003年7月のお勧め本

暉峻淑子『豊かさの条件』岩波新書 2003年

 バブル期に『豊かさとは何か』を執筆し、豊かさを謳歌していた日本の生活の「貧困さ」について警鐘をならした暉峻氏の最新作。前作同様、企業や競争中心の生活が変っていないことを批判し、このために経済不況のなかで深刻な問題がうみだされているとしている。また筆者のNGOでの経験を踏まえながら、「競争の原理」とは異なる「助け合う行為」に焦点をあて、この国にも細々とではあるがそうした伝統が流れてきていることを教えてくれる。無批判にヨーロッパの教育を持ちあげる著者の書き方に辟易するかもしれないが、それ以上に学ぶ点が多い。
740円

2003年6月のお勧め本

小林英夫『産業空洞化の克服』中央公論社 2003年

 現在SARS問題が影を落し始めているが、しかし今後も中国が経済成長を遂げていくであろうことは、おそらく揺るぎ難いトレンドであるといえよう。本書は急速な中国の経済成長をとの関係なかで日本(そして韓国、台湾)にどのような影響が出ているのか、その現状と問題点を検証している。
 筆者は日本の「もの作り」が急速に力を失ってきつつあることを確認するが、しかし政府が目指すようなITやベンチャーで日本を再生しようとする方向には異を唱えている。むしろこれまで培ってきた製造業を土台に「三新(新素材、新工法、新製品)」の開発を柱とした企業努力を評価し、その中で中国だけに偏らないアジア各国との分業体制を構想すべきだとしている。個々の論点で首肯できない部分もあるが、今後の日本の製造業を考えていくために読むべき好著といえよう。
680円

2003年5月のお勧め本

熊沢誠『リストラとワークシェアリング』岩波書店 2003年

 昨年の今頃は新聞紙上を賑わせていた「ワークシェアリング」という言葉もすっかり色褪せてしまったようで、とんとメディアで見聞することがなくなってしまった。だからと言って、ワークシェアリングが必要とされているような状況が解消したわけではない。相変わらず失業率は高止りで、リストラを発表する企業も多い。その空隙は賃金の低い非正規労働者や、企業に残った正社員は長時間残業で埋められている。
 筆者はワークシェアリングを「一律型」と「個人選択型」とに分類し、こうしたアンバランスを抱えた現代日本において、前者は企業社会における働きすぎを抑制し、後者はパート労働者の均等待遇へと結びつけていく手段となるとしている。筆者が提言するワークシェアリングはユートピアとさえ思われるかもしれない。しかし、日本のユニオンリーダーたちを辛辣に批判してきたことで知られている筆者が、この本では彼らがパートの均等処遇など姿勢を正してきていることに肯定的評価を与えているのである。ビジネス・ユニオニズムの克服に向けて、ゆっくりとはであれ時代が動いていることを感じさせられる。あるべき労働社会を考える一助として一読をお薦めしたい。
740円

2003年4月のお勧め本

奥村宏『エンロンの衝撃』NTT出版 2002年

 「法人資本主義」で有名な奥村氏が、エンロンやワールドコムなど米国企業の不正が起った背景を氏独自の株式会社論からロジックを用いて解説している。個人資本家が支配する第一段階、株式分散所有による「経営者支配」の第二段階、そして株式所有の機関化した現代という段階論的に把握し、機関投資家所有による株式会社制度の問題を無責任な経営者の登場にあるとする。すなわち経営者が会社を利用して盗む(=利殖を図る)時代となったことを問題とし、日本もその害からのがれるものではないとしている。繰り返しが目立つのが残念だが、筆者の舌鋒の鋭さは衰えてなく面白く読める。
1600円

2003年3月のお勧め本

アマルティア・セン『貧困の克服』大石りら訳 集英社新書 2002年

 ノーベル経済学賞を受賞したセンの講演録を集めた新書だが、彼の理論のエッセンスを平易に紹介しているわけではない。どの章もアジアの経済発展と民主主義の問題を取り上げ、民主主義的価値観はアジアの価値観に根付かず、権威主義に基づく経済成長を正当化する見解を批判している。センは批判は二つの観点からである。一つは、アジアの価値観の中にも多様性が存在し、そしてその中における民主主義的価値へと繋がる「寛容」の精神さえ存在してきたとし、家父長制へと歪められたアジアの思想の自画像を批判する。もう一つは、民主主義と経済発展との関係である。彼によれば、民主主義こそ健全な経済発展の基礎に必要だとして、比較的自由なメディアを有した民主国家には本格的な飢餓が存在してこなかったことを主張している。政治経済が混迷をきわめる中、民主主義の大切さを擁護する議論の一つとして是非触れておいてほしい本である。
640円

2003年2月のお勧め本

高山与志子『レイバー・デバイド』日本経済新聞社 2001年

 今後の日本の雇用のあるべき姿として米国が参照されることが多い。得てして印象論的なアメリカ論が跋扈するなか、著者はここ20年の米国の雇用構造の変化について豊富なデータを用いて示すとともに、自らの米国企業の勤務経験を活かしながらその肉付けをはかっている。
 著者によるならば、80年代から90年代のアメリカの雇用構造の変化は所得の二極化と雇用の不安定化として現われており、それは競争の激化、情報化、企業統治構造の変化によって引き起こされているのである。そしてこうした流れから日本も免れることはできないとしている。
 最後の点には異論があろう。いかにグローバル化が進もうとも、様々なタイプの資本主義が可能だろうし、またアングロ・サクソン型の資本主義を甘受しなければならないわけでもなかろう。この意味で、著者はある種の運命論に陥っている。我々は著者の結論に付きあう必要はないだろう。
 むしろこの本が読まれるべきなのは、ここ20年のアメリカの経験を我々に正確に伝えているからである。そこから何を学び、何を他山の石とすべきか。日本の雇用の今後を考えていくうえで、本書はその適切な参照点となるだろう。
1600円

2003年1月のお勧め本

姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』集英社 2002年

 不気味な時代になりつつある。長期化する経済の低迷から抜けだせず、国民の不満が高まってくるなかで、ナショナリズムの鼓舞するような傾向が強まっている。経済一流というアイデンティティが崩壊し、その寄りどころを国家に求めようとしているかのようである。またワールドカップ、北朝鮮拉致問題、教育基本法改正などが、こうした動きをさらに加速させている。不安や不満がマスメディアを媒介としながら一挙にナショナリズムという鋳型に流し込まれているのかもしれない。
 さて、今回する紹介するこの本は、こうした動きに異を唱える姜尚中東大教授と、作家の森巣博氏との対談である。姜氏は在日韓国人というアカデミシャンという立場から日本のナショナリズムの歴史を整理するだけでなく、在日韓国人としての経験から、現在の問題を語る。他方、20代にギャンブルで当てた金を元手に日本を脱出した作家である森巣博氏は、外の社会から見た「民族という病」を問題にする。
 マイノリティーの視点と「国際的博奕打ち」の視点が重なって繰り広げられる現代のナショナリズム批判は、実にスリリングであり、我々の社会が向うべき方向性を考えさせられる。
700円。

2002年12月のお勧め本

関満博『現場主義の知的生産法』筑摩書房2002年

 産業集積地の調査研究で知られる著者が、その豊富な調査経験を語りながら、調査に臨む姿勢や報告・論文作成の作法などを論じる。「百聞は一見にしかず」という言葉を銘に刻み、現場を歩き、調査対象とは一生付き合っていく覚悟で人的交流を行うべしとする著者の調査方法論に学ぶことは多い。調査を心ざす人は是非、読んでみて欲しい。
700円

2002年11月のお勧め本

ロナルド・ドーア『日本型資本主義と市場主義の衝突』(藤井眞人訳 東洋経済新報社 2002年)

 本書の筆者ドーアは今から30年程前に、日英の工場制度を比較し、英米のような市場志向の企業システムは将来的には日本のような組織志向のシステムに収斂していくだろうという大胆な予測をおこない、80年代には高い評価を得た。
 しかし、昨今では彼の予測とは逆に、英米型の資本主義が日本的な資本主義に修正を迫るようになってきている。ドーアはこれをフィナンシャリゼーションとマーケッティゼーションを旨とするアングロサクソン型の資本主義をモデルとする改革が、日本型の資本主義の根底にある生産主義が掘り崩そうとしていると見、現在の「構造改革」に警鐘を鳴らしている。今、変えるべきものは何かということを考える一助として是非読んでみてもらいたい。

2002年10月のお勧め本

ロバート・B・ライシュ『勝者の代償』2000年

 ITを中心とする技術革新により「すばらしい取引き」が可能となった「ニューエコノミー」では、その代償として不安定な雇用、働き過ぎ、コミュニティの崩壊などの諸問題が引き起こされている。著者はこの光と影を正確に認識したうえで、バランスある社会を構築する必要があるとしている。
 クリントン政権下で労働長官を務めた著者が、ビジネス、労働、教育、生活と、幅広い分野に渡ってニューエコノミーが及ぼす影響とその課題について論じた好著である。(清家篤訳 東洋経済新報社 2002年)
2000円

2002年9月のお勧め本

玄田有史『仕事のなかの曖昧な不安』中央公論社 2002年

若者世代におけるフリーターの増加については、価値観や世代などの主体的問題に着目する議論と、社会構造や経済構造の変化の側面に着目する議論があるが、筆者は後者の見解に立ち、若者のフリーター化は強いられたものとして、若者を擁護する立場に立っている。すなわち、フリーター現象を雇用構造の変化の問題として取り上げ、その背景に中高年を解雇しにくい日本の雇用関係が存在していると主張している。
 中高年の雇用の保護によって若者たちが仕事に就きにくくなっているとする筆者の結論は、無用な世代間対立を煽り、問題も多い。なによりも雇用構造の変化の背景にあるグローバル化・空洞化という現象を見落としているというのが率直な感想である。しかし若者と雇用問題との関係を題材として取り上げた本だけに、ゼミ生の諸君には身近な問題として雇用問題を感じることができるのではないかと思う。刺激的にもすぎる結論にどう自分の見解を対置できるのかを念頭において読んでみて欲しい。
1900円

2002年8月のお勧め本

竹信三恵子『ワークシェアリングの実像』岩波書店 2002年

かつては一部の専門家しか使わなかった「ワークシェアリング」という言葉だが、最近はすっかり一般的な用語として定着したようだ。不況時に少なくなった仕事を分かち合い雇用を守ることを意味しているが、筆者は昨今経営側の主張するワークシェアリングが賃下げに力点が置かれていることに危惧を抱きながら、日本ですでに行われはじめたワークシェアリングの実践を取材している。そして、それが「正社員の数を絞って他の雇用形態に置き換える」という「雇用の分断」となっているのではないかと主張するとともに、それとは異なるワークシェアリングの在り方をオランダや各種のNGOの運動に見い出し、これまでの会社人間的な働き方の在り方を変えるワークシェアリングの可能性を探っている。現在の雇用問題を考えるのに適した一冊である。
1800円

2002年7月のお勧め本

カール・ポラニー著 『大転換』1957年
(吉沢他訳 東洋経済新報社 1975年)

 19世紀を市場が社会を支配した世紀と捉え、市場化を進める力が社会にもたらす悲劇と、それに対抗する社会の側からの防衛反応の歴史を描き、社会から自立化した市場の問題を取り上げている。20世紀におけるファシズムや社会主義の台頭を社会からの防衛反応により自己調整的市場の崩壊によるものと解釈し、「市場ユートピア」的思考を放棄し、社会の新しい在り方について論じている。市場万能論が大手を振って歩いている中、社会と市場との関係をもう一度、大きな歴史的な視点から捉え直すことによって、次の社会のあるべき姿を考えさせてくれる名著である。
3200円

2002年6月のお勧め本

スーザン・ジョージ著 『WTO徹底批判!』作品社 2002年

 先日、中小企業の経営者の集まりに顔を出すため大田区に出かけたときのこと。蒲田の駅についた時、突然雨が降り出したので、仕方なく傘を買わざるを得なくなり、駅前の100円ショップに入ってみた。まさかとは思ったけれど100円で傘が売っていた。それもいわゆるビニール傘ではなく、折り畳みの傘。中国製のその傘をある経営者に見せてこの話をすると、「それじゃあ、勝ってこないなぁ。」と嘆かれてしまった。
 このように貿易の自由化が進む中で、我々の生活の外国や多国籍企業の製品が安価なモノとして入ってきて、消費者としては多大な恩恵を受けている。他方で、それぞれの文化に根ざし成長してきた各国の地域経済を疲弊させ、ひいては産業を空洞化させている現状がある。そのため貿易の自由化を巡っては是々非々の議論があるが、有無を言わさずこうした貿易の自由化を促進し、それを物的商品のみならず、サービスや知的所有権にまで拡大していこうとしているのがWTO(世界貿易機関)なのだ。
 この本は、世界的な広がりを持つ反WTOの運動、ATTACの代表的なイデオローグであるスーザン・ジョージ女史が、WTOの歴史・組織・方針を検討し、その問題点を取り上げた入門書である。著者はWTOがもっぱら貿易の自由化のみにかかわることによって、他の国際法や人権を無視し、また環境・エコロジー・衛生といった分野での規制を蔑ろにしかねないと警鐘を鳴らしている。そしてこのやり方で貿易の自由化が進められるならば、「政治的な比較優位」(これはリカードの比較生産費説に対する皮肉)に立つ国、すなわち労働組合の力がなく、児童労働を容認しているような国へと多国籍企業の投資が進められ、底なしの競争が行なわれることになりかねず、民主主義的価値の存立基盤さえ失ってしまいかねないと批判している。
 なぜ現在、反WTOの運動が世界に広まっているのか、その理由の一端を窺い知ることができるとともに、世界経済の今後のあり方、市場と社会、貿易と地域経済など問題群について我々に再考を迫る。政治経済学的な観点から世界経済の今後を考える格好の入門書となっており、訳も平易で読みやすい。一読をお勧めする。
杉村昌昭訳、1300円。

2002年5月のお勧め本

河邑厚徳・グループ現代著 『エンデの遺言:根源からお金を問うこと』NHK出版 2000年

 お金というものは我々の生活において欠くことのできぬもので、それゆえ悩みの種となってきた。他方で、巨大金融機関や投資家による投機が一国の経済を麻痺させることにも見られるように、我々のあずかり知らぬところで生活に大きな問題を突き付けてきた。我々生活者にとって制御不能な力をもったモノとしてお金は存在している。
 この本ではモモやネバーエンディング・ストーリーの著者として知られるファンタジー作家、故ミヒャエル・エンデの思想の背後にある貨幣観を出発点にして、社会とお金の問題を取り上げている。彼は投資によって自己増殖していくお金を問題とし、「時間とともに減価していくお金」の必要性を考えていた。そして、この彼の思想の背後に、忘れられた経済思想家シルビオ・ゲゼルの影響が強くあるとして、ゲゼルの思想と実践を取り上げている。
 また貨幣のあり方を問い直すものとして過去や現代の地域通貨の試みを紹介。社会に埋め込まれた経済の必要性を我々に認識させるとともに、既に地域通貨のような形でそうした試みが始まっていることを教えてくれる。テレビで放映された番組から作られた本だけあって、読みやすい形で、現代経済へのオルタナティブを考えさせてくれる。ご一読あれ。
1500円。

2002年4月のお勧め本

リチャード・セネット著 『それでも新資本主義についていくか』ダイヤモンド社 1999年

 変化、改革、イノベーションといった言葉が政治家や経営者によって絶えず語られている。とりわけ閉そく感がつよまった90年代後半は右も左も「構造改革」の声で溢れている。それにあわせて、人びとの働く環境、状況も大きく動いてきた。日本では95年以降、労働市場の自由化が大胆に押し進められてきた。その中でフレキシブルな経営を可能とする不安定就労層が多数、生み出されている。
 この本は新しい資本主義を環境の変化に柔軟な対応をしていく「フレキシブル資本主義」と捉え、その下で人びとの生活はどう変化しているのかを論じている。アメリカの大卒は生涯のうちに11回の転職を経験し、3回スキル・ベースを変えるという。また現代の労働者が経験する労働移動はの多くは「両義的水平移動」、すなわち水平方向の移動でしかないのに、当の本人たちは上昇していると思い込むような移動であるという。働く人たちのキャリアはますます予測不可能なものとなり、そこでの労働倫理も軽薄なものへと変質し、そこで「人格の腐食」(本書の原題)がもたらされていると著者は指摘してる。
 では新資本主義に対抗する方向性はないのであろうか。著者は「場所」こそが新資本主義の限界を示すものであり、その場所で生み出される「われわれ」という「共同性」に対抗軸を見い出そうとしている。しかもこの「共同性」とは「葛藤」によって生み出された「共同性」であり、コミュニケーションから生ずる「共同体」であると主張している。ここに批判理論とアメリカの多元主義との重なりを見い出すこともできよう。ただ、残念なことに、こうした共同性の具体像が明確に示されているわけではない。
  学生の諸君には、多少難しいと感じる所もあるかもしれないが、フレキシブル化を強める日本の今後と、その対抗軸を考えるためにぜひ読んでもらいたい一冊である。
斉藤秀正訳, 1800円。

2002年3月のお勧め本

小林英夫著 『戦後アジアと日本企業』岩波新書 2001年

 第2次産業空洞化と言われるほど、国内製造業の衰退は著しさを感じる。そして国内を見捨てた企業は中国を中心としたアジアへとその生産拠点を移出している。またEUの通貨統合・経済統合をまねてアジア通貨・経済圏の可能性についても論じられるようになった。
 この本は戦後日本の企業がアジアの中で果たしてきた役割を、年代別にまとめた入門書である。時代を経るなかで日本企業の進出先の国が大きく変遷するとともに、日本企業がアジア各国の経済を分業に組み込んでいくプロセス(これが逆に我々にとっては空洞化として現出するのだが)を教えてくれる。
 通貨危機を克服し、雁行型と言われるアジア経済の発展パターンが今や過去のものになろうとしているなかで、日本企業や経済はどこに向かって進むべきなのかを考えさせられる一冊。
680円。

2002年2月のお勧め本

S・ウェッブ、B・ウェッブ著 『社会調査の方法』川喜多喬訳 東大出版会 1982年

 ウェッブ夫妻の名前を聞いたことがあるゼミ生はいるだろうか。20世紀の初頭に穏健な社会改良を唱えるフェビアン協会に所属し、イギリスの労働組合や協同組合の調査研究を勢力的に行い、労働研究に偉大な足跡を残した研究者である。
 今から70年ほど前に出版されたこの本は、そのウェッブ夫妻が行ってきた調査を次の世代の研究者に伝えるべく書かれたものである。しかし、それは現在巷でよく見かける社会調査法のハウツー本ではない。調査の中で、それまで抱いていた個人主義的な社会観に疑問を感じ、フェビアン主義に身を投じたウェッブ女史。そんな思想的格闘の場であった二人の社会調査を振り返りながら、読者に対して調査のあるべき姿を提示している。
 調査技法としては既に過去のものとなったことも多々あるが、調査者として求められる態度や精神については新鮮さを保っているともに、筆致も鋭い。調査を既に体験したゼミ生や、これから社会調査に関わっていこうと考えている人には得るところの多い必読の本である。
2800円。

2002年1月のお勧め本

梓澤和幸著 『在日外国人』 筑摩書店 2000年

 弁護士である著者が、日本で働く外国人に対する日本の司法・行政の厳しい態度を問いただした書。法律的観点だけでなく、著者の弁護体験が至る所に書き連ねられており、在日外国人が抱える日常的な問題の広さを我々に教えてくれる。
著者はこの根底に戦後直後の「在日朝鮮人」問題に顕著に現れた排外主義、「単一民族」意識をあぶり出している。ともすると現在の外国人労働者の問題は、ニューカマーの問題として、オールドカマーである在日朝鮮人問題とは切り離されて語られることが多い中、現在の外国人労働者問題を歴史的な経緯の中で統一的にとらえようとする著者の視点は、私には新鮮であった。そして、何よりも、外国人労働者問題というのは我々日本人の「内面」の問題なのであるということを考えさせられた一冊である。ぜひ、一読してみてほしい。
2200円。

2001年12月のお勧め本

橋本健二著 『階級社会 日本』 青木書店 2001年

 マルクス主義における階級論は生産手段の所有・非所有によって構造化された関係性が、人々の経済的状況を決定付けるだけでなく、様々な行為領域に影響を与え、さらには同一の階級(プロレタリアート)として相互主観性を獲得することを意味している。ある種、特権的な位置を与えられた概念である。
 橋本はこうした階級論の構成をドグマとして否定しつつ、しかしマルクスの階級概念が持つ分析ツールとしての有効性を主張する。それは単に生産手段の所有・非所有のみならず、生産手段の統御力という尺度を取り入れ、また性というカテゴリーを階級の中に挿入するという方法論的な刷新をも試みている。
 なによりもこの本が面白いのは、階級という概念を用いて日本社会を見ると、十人十色に見えた人々の様々な行為や選択の中にいくつもの断層が見えてくることにある。時にはマンガを素材に使いながら、階級という断絶線が人々の意識や行為に大きく影響していることを論じている。現代社会を小気味好く切開し、階級概念というアーミーナイフの切れ味を教えてくれているようだ。まずは一読あれ。
2700円。

2001年11月のお勧め本

野村正實著 『知的熟練論批判』 ミネルヴァ書房 2001年

 考古学の世界で遺跡のねつ造があった話は既に旧聞に属する話であるが、労働の分野においても似たような疑惑が持ち上がっている。これまで世界的な権威として日本の労働経済学に君臨してきた小池和男氏が、その知的熟練論を展開するにあたって示してきた「仕事表」は、実際には存在していないのではないかという疑惑である。
 この可能性は既に2年前に遠藤公嗣氏が指摘していたところであるが、その問題提起を受けて実際に検証したのがこの本である。90年代初頭に野村・小池論争の主役であった野村氏は、小池氏の文献を丹念に読み返すことによって「仕事表」が「創作」されたものであることを証明する。またそれに留まらず、野村・小池論争以降の研究の丹念なフォローを行いながら、「知的熟練論」が実証研究から支持されていないと容赦ない批判を浴びせている。
 トヨティズム論争を総括するうえで今後、必ずレファレンスされるであろう専門性の高い本であると同時に、実証研究においてデーターの持っている意味を再認識するという観点からも一読してもらいたいと思う。
4500円。

2001年10月のお勧め本

エリック・シュローサー著『ファーストフードが世界を食いつくす』楡井浩一訳、草思社、2001年

 最近、ファーストフードにおける価格競争が激しくなり、これをもって規制緩和や市場の自由化が消費者に利益を生み出しているという宣う人が多い。しかし、その華やかなドアの裏側で何が起こっているのか、また我々が口にするものがどのようなプロセスで作り出され、その安全性はどうなっているのかという点にまではなかなか考えが及ばない。
 私自身、30歳を過ぎて、そもそも食はその土地土地の風土と人とに大いに結びつきながら発展してきた文化であると感じ始めた。そのため、いつどこで食べても同じ味がするファーストフードとは、なにがしかの無理のある食べ物ではないかという漠然たる不安感を持ってきた。そうした思いを抱きながら、手に取ったのがこの本である。
 この本はファーストフード業界の歴史、構造を照らし出したルポルタージュである。フォード主義的合理化、フランチャイズ制の問題、原材料である肉やポテトの買いたたき、O-157の感染に代表される不衛生な加工プロセス、子供たちを相手にしたマーケッティング、批判者に対する抑圧等々、ファーストフード産業を取り巻く問題が、当事者たちの言葉を通して具体的に明らかにされていく。
 奇しくも、私の専門である労働に関しても、多くの記述が存在し、ファーストフード産業批判を通して、アメリカにおける労働の一面をかいま見させてくれている。アルバイト若年労働者層が低賃金で酷使され、合理化が進められ食肉加工工場の熟練労働者達は移民労働者に置き換えられ、労災に巻き込まれる危険の高い労働環境にさらされているなど、インフォーマル化した労働の実態を告発している。
 またファーストフード化とは異なる試みや、ファーストフードのチェーン店に対する批判的な行動を現状も紹介し、オルタナティブの可能性を示唆している。そして著者は、ファーストフードを乗り越える未来は、まさに消費者の選択にあるとしている。この本はファーストフードに対する不安をただ煽っているのではない。ファーストフードという素材を通して、社会・経済・政治のあり方を問い返し、消費者自身の選択の大切さについて真摯に考えることを促しているのである。今度、ファーストフードに立ち寄る前に、是非一読あれ。
1600円。

2001年9月のお勧め本

矢野眞和・連合総研編『ゆとりの構造』日本労働研究機構 1998年

日本の年間総労働時間はアメリカに抜かれ、かつての「働き過ぎ」社会は克服されたかのように巷では語られている(授業やゼミでこの背景にある統計上の問題については何度も触れてきたのでここでは記さない)。しかし、我々の生活を見渡してみると、さほど劇的に変わったようには感じられない。サラリーマンの話を聞いても、バブルの頃と変わらず午前様の生活のようだ。
 この本は生活時間研究という視点から、日本人の働き方や余暇の利用法の時系列変化を見るとともに、他国との比較研究を行った本である。この本の最大の魅力は編者の一人である矢野氏の次のファインディングスである。すなわち、日本ではこの20年の間に時短が大きく進んだが、その最大の要因は週休二日制の定着であり、平日の働き方では時短が進んでいないどころか、むしろ週休二日制の導入に伴うしわ寄せが来ているということである。矢野氏はこれを踏まえて、「ゆとり」を実感できるような時短を実現するためには、平日の働き方を変えていかなければならないと提言している。我が意を得たりと感じさせてくれる。
 本の構成は前半は生活時間研究の研究者による従前の研究成果の総括、後半は連合関係者による新規の日米英独仏調査報告からなっている。しかし、前半と後半とでは現状認識や「ゆとり」観の論調が微妙に(かつ決定的に)違っている。中にはワーカホリック的生き方を首肯するような論者も出てくる。おそらく意図されてのことではなかろうが、この差異こそが、読者に違和感を感じさせ、結果的に、自己の働き方やゆとり観の再考を促す効果となっている。自分の将来の働き方・生活スタイルを考えていく上で、是非とも読んでおいてもらいたい一冊である。

2000円

2001年8月のお勧め本

井口泰『外国人労働者新時代』 ちくま新書 2001年

日本が95年の労働力人口を維持するためには、毎年60万人の移民を今後50年にわたって受け入れる必要があると国連が発表したのは去年のこと。いつ5%を突破してもおかしくない失業率を思い浮かべると、そんな馬鹿なという気もしないでもないが、少子高齢化は日本の社会構造を着実に脅かしつつあるというのが今の現状なのである。
この本は単純労働者の受け入れ是非をめぐる「第二の論争」が開始された現在、外国人労働者問題について考えるべき論点をバランスよく紹介している。ただ「社会統合」を基軸においた元官僚の政策発想が、若干鼻につかないわけではない。
先月紹介した『まやかしの外国人研修制度』とあわせて読めば、その発想の仕方の違いはさらに際だってくるであろう。21世紀日本の労働力不足問題が進むなかで受け入れ是非をめぐる議論は盛んになるであろうが、実際にはもう隣人となっている外国人労働者が抱えている問題への視点を見失わなずに冷静な論議をすべきであろう。
680円

2001年7月のお勧め本

外国人研修生問題ネットワーク編 『まやかしの外国人研修制度』 発行:現代人文社 発売:大学図書 2000年

外国人技能実習制度というのを聞いたことのある人はいるだろうか。現在、裁判が進行中のKSD事件の中でも取り上げられた制度なので、ニュースなどで耳にしたことのある人もいるかもしれない。
この制度は、発展途上国の人々を日本に招いて、研修や実習を行って技能や知識を身につけてもらうことを目的とした制度であり、1993年に創設された。こう書けば、先進国として国際協力を行う素晴らしい制度であるかのように聞こえる。しかし、実態は全く別である。
外国人労働者に関して単純労働者の受け入れを禁じている現行の入国管理法の抜け道として使われ、「実習」の名の下、建設作業や水産加工のライン労働のように人手不足の3K労働や単純労働に従事させられる。何らの技能も必要のない仕事が多く、しかも「研修」であることを口実にして、賃金の支払いを禁止している。劣悪な条件の下、最低賃金以下の報酬で働かせ、仲介者による不当な搾取が行われている。それはまさに現代の「奴隷制度」ともいうべきものであろう。
「国際協力」の美名のもとに、人権侵害や不法な搾取が蔓延り、そして様々な利権が蠢いている。外国人労働者問題に取り組んできたジャーナリストや活動家たちによって書かれたこの本は、全国各地で起こっているこの制度にまつわる事件を紹介し、「蛇頭よりもあくどい」搾取の実態と騙された外国人たちの怒りを伝えている。アジアの人々を愚弄した恥ずべき制度であり、ふつふつとこの国の腐り方に怒りがこみ上げてくる。現代日本の抱える問題を知るために、是非とも読んでもらいたい本である。
、1200円。

2001年6月のお勧め本

リーナス・トーバルズ+デイビッド・ダイヤモンド著『それがぼくには楽しかったから』 小学館プロダクション 2001年

Linuxという言葉を聞いたことあるだろうか?この数年、注目されてきたコンピュータOSの名前である。OSとは「基本ソフト」と呼ばれ、コンピュのハードウェアの違いを吸収し、各アプリケーションに対して統一的な使用感を提供するソフトウェアのことで、WindowsやMac OSなどが一般的には知られている。
このLinuxというOSで特筆されることは、このソフトを書いたのがLinus Torvaldsというフィンランドの無名の「おたく」大学生であり、そしてそのソースを無償で公開したことである。このために世界中のハッカー達がよってたかってLinuxに改良を加え、今では非常に安定したOSとして知られるようになったのである。世界中で使われている(実はこのサーバーもLinuxで運用されている)とともに、その開発法自体も優れたソフトウェアを生む方法(いわゆる、オープンソフトウェア)として、注目を集めている。
この本は、そのTorvalds氏がどのような家庭環境で育ち、どのような経緯でLinuxの開発を始めたのか、そしてLinuxが名声を馳せた現在、どのようなことを考えているのかについて語った本である。時として、少し乱暴とも思えるような見解が見られなくもないが、独占によってビジネスを支配しようとするビル・ゲイツ流のコンピュータ戦略とは異なり、趣味と営利主義との柔らかな接合をはかってきたトーバルズの生き方に素直に共感するともに、21世紀のビジネスや働き方の可能性を感じさせてくれる。
風見潤訳、1800円

2001年5月のお勧め本

網野喜彦著『古文書返却の旅』中央公論社1999年

大学院時代、絶対にしてはいけない失敗をしたことがある。大田区の研究を始めて間もないころで、ある人づてに借りた地域労組の組合紙10年分を紛失してしまったのだ。自分はてっきり仲介してくれた人に返したつもりでいたのだが、半年ほどたってその人から早く返して欲しいと言われ、返せなかったという大失態だ。
この本は、「日本」の民衆史、社会史を大きくリードしてきた網野氏が、若い頃に携わった漁村の古文書収集プロジェクトのなかで借り出してきた資料を、40年かけて全国を回りその返却を行ってきた回想録である。
「借りたモノ(資料)を返す」という調査マナーのイロハ。しかし、時としてこの最低限のマナーさえ守らない研究者がどれほど多いことか。労働研究者の御大にも悪名を馳せている人がいる。「借りた資料は返す」という当たり前のことの大切さを肝に銘じておくために、これから調査研究を行うゼミ生たちには是非読んでおいてもらいたいと思う。
加えて、この本では返却されたそれぞれの古文書が網野氏の歴史観にどのような意味・意義を与えたかが述べられており、いわば網野史学のメイキング・フィルムを見ているような面白さがある。
中公新書、660円。

2001年4月のお勧め本

佐藤俊樹著『不平等社会日本』 中央公論社 2000年

私達の住む日本社会は9割以上の人が自らのことを「中流」だと考え、豊かさを謳歌しているように思われる。ヨーロッパにおけるような階級の壁は存在しないし、またアメリカほど貧富の格差はひどくなっていない。こうした中で、我々社会の等質性あるいは平等性は、ある種克服されるべき課題として、成果主義や業績主義が言われている。
こうした常識に対して、著者は、戦後日本の階層の流動性、開放性が高まってきたのは事実であるが、ここに来てその開放性を失い、階層の固定化が進み、「知識エリート」階級が登場しているとする。そして現代日本の陥っている閉塞感を、この階層の固定化の観点から切り込み、エリートの「責任の空洞化」や「努力をする気になれない社会」を生み出しているとしている。
日本社会を説明する際に、中小企業や大企業を一くくりにした階層のカテゴリーで、はたして説明力はあるのだろうかという疑念が浮かびあがってくるし、また「カリスマ美容師」をモデルにした著者の処方箋を、そのまま真に受けるわけにはいかない。しかし世界に誇るべきSSM調査を基に90年代の日本の社会構造を明らかにし、常識を見事に覆す著者の手法は見事である。また階級論、階層論に関する難しい概念を平易に噛み砕いて説明されていて読みやすい。是非、暇を見つけて読んでもらいたい。
中公新書、660円。

2001年3月のお勧め本

安丸良夫著『日本の近代化と民衆思想』 平凡社ライブラリー 1999年

「努力すればむくわれる」、「勤勉こそが成功への近道である」などといった言説を我々は幼い頃から聞かされて育ってきた。あるいは日本経済新聞に連載されている「私の履歴書」のような「成功者」の生き方に人生訓を見出そうとする人も多いであろう。
今月紹介するこの本は、まさにこうした庶民が抱いてきた倫理的・道徳的観念が、大きな歴史の中でどのような役割・機能を果たしてきたかということについて論じた歴史書である。すなわち、勤勉、孝行、質素といった近世末期に登場した通俗道徳や、新興宗教の教義に内在しながら、そこ見られる民衆思想が日本の近代化・資本主義化にあたって持っていた両義性を解き明かしている。
つまり一方では、民衆思想は規律・鍛錬を唱える中で、儒教の持っていた宿命論を超えた能動性・主体性の哲学をうちたて、近代化を担う新しい政治・経済的主体の確立を招来したが、しかし他方で、通俗道徳は、その論理構成から、民衆の煩っていた苦難(貧困や病理)を道徳的行為の欠如へと因果づけることになり、結局は支配・隷属関係を正統化・強化するものともなるということである。
民衆文化や一揆へと眼差しを向ける安丸は、前者の点を強調する。その意味では民衆思想の持っていた可能性を救い出し、歴史的転換期に生きた民衆たちを生き生きと描き出している。しかし、私にはアルチュセールのイデオロギー論や、フーコーの権力論に通ずる思想、すなわち「人は主体となることによって従属する」という近代資本主義のパラドックスの構造がそこに示されていると思えてならない。あまりにもペシミスティックな読み方であろうか。
通俗道徳は過去の話で終るものではなかろう。今もビジネス書コーナーには多くの人生訓や道徳観を提示した書籍が溢れるばかりならんでいる。この本に学ぶことで、こうした現象の意味を問い返し、現代ビジネスマンの思考法を相対化し、切開する糸口を見つけて欲しい。
本書は1974年に青木書店より出版され、99年に平凡社ライブラリーとして復刊された。1500円。

2001年2月のお勧め本

ポール・ウィーリス著『ハマータウンの野郎ども』 ちくま学芸文庫 1996年

今月紹介する『ハマータウンの野郎ども』は1970年代のイギリスの地方都市の不良中学生たち(lads)の日常生活を記述し、彼らの生活感や意識がもっている社会変革可能性に対する意味と機能を検討した本である。
不良たちの反学校文化には伝統的な労働者階級文化(マネジメントに対する抵抗の伝統)が生き生きと根付いていることを明らかにするとともに、しかし反学校文化であるがゆえに不良たちが、厳しい肉体労働を「男らしい」仕事として積極的に引き受け、ひいては資本主義社会の維持・存続を担う労働者達を作り出している点を暴き出す。学校と職場との「逆接」、反学校文化・労働者文化の「罠」を見事に明らかにしている。
イギリスの不良たちの生々しい学校生活を描き出した社会調査、ドキュメンタリーの書としても面白いし、人はイデオロギーの中で主体となり、主体となることによって従属するというアルチュセール張りのイデオロギー論を展開している理論的好著でもある。社会科学を学ぶ人は是非読んでおいてもらいたい本である。
原著はPaul Willis, Learning to Labour (Ashgate, 1977)。熊沢誠と山田潤の訳で、ハードカバー版は85年に翻訳された。1450円。

2001年1月のお勧め本

山口定・神野直彦編著『2025年 日本の選択』 岩波書店 2000年

 この大晦日から元日にかけて、何年かぶりに「朝まで生テレビ」を見て夜更かしをしてしまった。大学院生の頃は暇に任せて欠かさず見ていたが、最近はどうも独善的な司会者が誘発する議論とならない討論・罵倒合戦に嫌気がさして、随分とご無沙汰していた。
 世紀の変わり目ということで、21世紀において日本が描くべき政治・経済の絵図を問題としたテーマは至極まっとうであったにもかかわらず、相変わらずの司会者の独善ぶりとそれに引きずられた議論には辟易したし、また、政府の提灯持ちの某労働経済学者がいささか食傷気味となった「規制緩和」論を展開しているのにはいささか失笑を禁じ得なかった。
 で今回は、この番組のいわば「解毒剤」となる本を紹介させてもらいたい。本書は、この「10年来の改革政治の展開が、問題の核心をとらえ損ねているばかりか、場合によっては、かえって危機と混迷を深刻化させている」と90年代の総括し、来るべき四半世紀を念頭においた政治・経済・社会の「システム改革」を提言している。
 執筆者は山口二郎、金子勝、大沢真理といった社会科学の最前線で活躍している気鋭であり、冷徹な分析と刺激的な提言が行われている。「規制緩和」の念仏を唱える市場万能論のスタンスとは立場を大きく異にし、新しい市民参加のあり方、共生型社会、新しい公共空間の形成を目指した提言は、近年出された改革提言の本では出色のできとなっている。社会科学者を幅広く集め、学際的な本となっているために、学生の諸君にはいささか読みがたいところもあろうが、是非、時間があるこの冬休みに腰を据えて読んでみてもらいたい。

2000年12月のお勧め本

熊沢誠『女性労働と企業社会』 岩波新書 2000年

 企業社会と呼ばれる現代日本社会における管理の特質や、ノンエリートたちのその管理の受容と抵抗を見据え、企業社会の下で生きるしんどさを克服する道を執拗なほどに「職場」の中に求めてきた筆者が、現代の女性労働の問題を真正面から取り上げた本である。
 女性の内部での階層性を取り上げ、そのそれぞれが抱える固有の問題を、事例を挙げながら丁寧に論じ、現代における女性労働問題の分化を見事に描き出している。また「ジェンダー化された慣行」という視点を入れることによって、「自発と強制」という企業社会の働かせ方のロジックを主張してきた著者ならでは視点が、ジェンダー論にもうまく援用されている。
だが、著者の筆致が最もさえ渡るのは、「男女平等」が声高に叫ばれる時代になったにもかかわらず、いっこうに変わることなく「恵まれない労働」に従事し続けるノンエリートの女性たちの思いやしんどさに、叙述がおよぶ時である。熊沢節を是非、堪能してもらいたい。

2000年11月

長坂寿久『オランダ・モデル』 日本経済新聞社 2000年

 社会主義や共産主義という「ユートピア」がなくなったとしても別に悲しくなんかはないが、男/女、正社員/非正規社員、大企業/中小企業、若者/高齢者、日本人/外国人などの様々な差別が、雇用関係を彩っている日本の企業社会をどのようにかして克服しようというスタンスを錆びつかしてしまうわけにはいかない。
 「公平性」を巡っては様々な議論があるが、しかし多勢としてはまだ明確な答えが見いだせていない日本の現状がある。どのような政治経済体制が選択されるべきオルタナティブとして考えられるのか。
 安易に日本とオランダの親和性を主張する著者の議論には承伏しがたいが、しかし第1章で叙述されているパートタイマーの処遇を平等化し、雇用の創出をはかってきたオランダ・モデルに、一服の清涼剤的な刺激を感じるのは私だけではないであろう。現在の日本を相対化し、新たなオルタナティブを考えるためのヒントとして、この本は多くの人に読まれるべきであろう。