連載企画・学生たちが観た町工場

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Index
第4回 神永工業株式会社訪問記
第3回 株式会社福井精機訪問記
第2回 藤重プラスチック工業株式会社訪問記
第1回 (有)国分工機訪問記


2001年度に行った「学生たちが観た町工場」の記事や資料をまとめた冊子を作成しました。ウェッブ上でもPDFファイルにて配布しています。以下のタイトルをクリックして、ご覧ください(閲覧にはAdobe Acrobat Readerなどが必要です)。 またどうしても現物(残部僅少)が欲しいという方はこちらまでご相談ください。(2002年3月12日)


学生たちが観た町工場第4回

神永工業株式会社訪問記

横浜市立大学商学部吉田ゼミ 大下智長、谷川聡志、大塚詩穂

 今回お話を伺ったのは神永工業社長の神永寛次さんと専務の昌浩さんです。今までと同様、大田区の町工場を取材するにあたって、その企業特有の具体的な「強み」を探ろうと思ってました。しかしお話を聞いているうちに、取引先との強い信頼関係と自信に支えられている神永工業さんに、具体性を超えた目には見えない力を感じました。

 神永寛次社長は18歳の時茨城から上京。サラリーマンを経験後、25歳で脱サラ、そして独立。右も左もわからない状態からたった半年で職人並みの技術を習得してしまうなど、その頃から並々ならぬ努力と根性で才能を開花していったそうです。現在では、約80人の従業員を雇い、3つの工場でポンプ製造、板金・溶接、機械加工、そして浄水器の製造といった4つの柱を中心に事業を展開しています。

 現在その中心を担う浄水器との出会いは20年前。某大手メーカーから持ちかけられた話でしたが、もちろん予備知識はナシ。全く何もないところから社長自らが設計後、試行錯誤を繰り返し、みごとに開発競争に生き残ったのです。その後、コスト削減に成功したのはもちろんのこと、その品質管理にも万全を期してきました。4〜5種類の浄水器を1日に約1万個出荷する今では、100万個作ってもたったの1つも不良品が出ることはないほど洗練されているのです。

 メーカーからの細かい要請が非常に厳しい中、浄水器のシェアを伸ばし続けるには何かわけがあるはずだ。そう思いながら、熱のこもった社長のお話を聞いているうちに、卓越した信頼関係と絶対的な自信に裏付けられた、目に見えない「力」の源が少しわかってきたような気がしました。それは『人』へのこだわりという社長の思いではないでしょうか。積極的に若手に権限委譲を進めている社長、「思いやり」という言葉が好きな社長、そして「機械化はせいぜい50%まで」と考えている社長。その一言一言に見られる『人』へのこだわりが、まさに神永工業の最大の「強み」であり、他では簡単には真似のできない秘密なのだろうと確信することができました。

 全くのゼロからのチャレンジ、そして類まれなる苦労の積み重ねで、神永工業を作り上げ、発展させてきた神永社長。そんな社長から発せられた忘れられない言葉があります。

――「人間の能力というのはすごいんですよ。」
無理を可能としてきた神永社長の生き方を象徴しているような言葉であるとともに、大田区の町工場を取材する中で感じてきたことを言い当てられたような気がしました。神永寛次社長ならびに昌浩専務、非常に貴重なお話を本当にありがとうございました。

(2001年11月28日訪問)

 


 

学生たちが観た町工場第3回

株式会社福井精機訪問記

横浜市立大学商学部吉田ゼミ 町井貴子、田中亮、佐藤あかね

 夕暮れ時で辺りは薄暗くなる頃、事前に頂いた地図を頼りに歩いていると、とある工場らしきビルの中から灯りと活気が溢れ出ていました。そこが今回の訪問先である福井精機さんの工場でした。福井精機さんのところでは、機械加工をメインとして、1ヶ月に800種に及ぶ部品を製造しています。最大の武器は金属の切削加工を中心としながらも、設計から組み立てまで出来る総合的な技術力にあります。設計段階からクライアントであるメーカーとの話し合いを徹底して行い、余計な加工や部品を省くことによって低コストを実現してきたといいます。こうしてある測定器メーカーと取引関係を構築し、その企業の自動車関係を中心とした測定器の製作に携わってきたそうです。それ以外にも、尺八の譜面台や、社長の趣味が転じて作られたゴルフのパターといったユニークな自社製品もあり、その一つ一つを丁寧に紹介して頂きました。

 今回お話を伺った営業担当の福井雅人さんの思い出の製品は、「コールドベンチシステム」と呼ばれるエンジン測定器。従来のガソリンを使った危険を伴う試験から、モーターを使う安全性の高い試験を可能にした大変画期的なものだったそうです。この時もメーカーから渡されたのは外観図だけで、社内で細かな数字とアイディアを加え、一から設計したそうです。エンジンを真ん中で固定するためにエアーでクランプをつける、その設計に大変苦労されたとか。また、その部品の製造・組み立ての段階も大変だったそうで、500kgにもなる大きいものを2ヶ月で8台も納めなくてはならず、近くのビルの1階を借り、夜を徹しての作業になったことも…。

 全てが“お任せ”だったにもかかわらず低コスト・高品質な出来上がりとなったことにメーカー側は大満足だった、と福井さんは当時の設計図を手に胸を張って話してくれました。「納期通りに納め、品物はよくて当たり前」と、一つ一つの仕事に真摯に取り組み、時間をかけて顧客との信頼を築き上げていく大切さを私たちに教えてくれました。

 さらに、そんなお話を裏付けるような出来事がありました。現場を見学させて頂いた際、工場長さんが一つ一つの製品を大事そうに取り出し熱心に説明して下さったのです。製品を取る手は機械油で黒くなったまさに職人の手。その手からは技術的信頼を垣間見るとともに、その真摯な姿からは人間的信頼を感じることができました。人間関係が希薄になったと言われる現代に、人と人との信頼関係で仕事を呼び込む福井精機さんと出会い、帰り道、行きとは違った気分、心の奥にポッと灯りが燈ったようなそんな温かな気持ちを胸に家路につきました。最後になりましたが、お話し頂いた福井雅人さん、工場長さんをはじめ福井精機のみなさんに心より感謝申し上げます。

(2001年10月12日訪問)

 


 

学生たちが観た町工場第2回

藤重プラスチック工業株式会社訪問記

横浜市立大学 吉田ゼミ 大塚詩穂、大下智長、岡崎さつき

 今回は藤重プラスチック工業株式会社さんを訪問させていただきました。作業場に一歩足を踏み入れたところ、その熱気にまずは驚かされました。藤重さんのところでは、熱したプラスチック板(アクリル、塩ビなど)を木型に押さえつけることで型を形成するという作業が行われており、熱した際の温度は140℃にまで達するとのこと。なるほどさすがに暑いわけです。木型を使って多品種少量生産で特殊な製品を作るというのが経営方針で、取引相手は常時100〜150社にのぼり、これまで作った製品も、照明カバー、潜水艦カバー、歯科医で使用するバキューム、UFOキャッチャーカバーなど多種多様にわたるそうです。また、最近では、「滝」のオブジェやオーダーメイドの水槽といったオリジナル商品も手掛けているとのことです。

 数え切れない程の種類の製品のなかでも最も自信があるというコンピューターカバーを見せていただきました。一見、素人の目には何の変哲もないコンピューターカバーにみえました。しかし、実はこのカバー、元々は同業他社が受注した仕事でしたが難しくてさじを投げ、藤重さんに泣きついてきたという代物。数値的には素材の伸びの「科学的限界」を超えているのですが、事情が事情だけに、元請けメーカーとの相談による設計変更はできません。何枚ものプラスチック板をダメにしながらも、温度、気温、湿度、スピード、すべてに配慮し『深絞り』といわれる技術を駆使し、2日間かかりっきりで成功に至った経緯を熱く語っていただきました。「化学のデータでは分析できないが、人間の隠れた能力を最大限に引っ張り出した」というお話に、「なせばなる」という人間の可能性を教えられたような気がしました。

 今回お話を伺ったのは藤重信彦専務と、弟さんの武史主任。お二人とも車が趣味で、特に専務はカーレーサーを目指したこともあったそうです。若いときは「人に前を走られたくない」と思っていたとのことで、その精神がエネルギーの源となり、場所を変え、もの作りの現場で生きているのではないかと思い、またそのパワーに圧倒されつづけました。そしてインタビューの中でおっしゃっていた「他人(ひと)ができないんだったら、やってやる」という言葉に、藤重さんの機械を超えた技術力を生み出すチャレンジ精神を感じることができました。長時間にわたり、貴重なお話をしていただき本当にありがとうございました。

(2001年6月27日訪問)

 


 

学生が観た町工場第1回

(有)国分工機訪問記

横浜市立大学 吉田ゼミ  谷川聡志 田中亮 町井貴子

 今回訪問させていただいた国分工機さんでは、年間800種類ほどの静電気除去装置や電圧測定機の部品などを作っています。なかでも静電気除去装置の心臓部である放電部は、国分工機さんでしか作れないそうです。会社の設備は70年前(!)の長尺プレーナーからフライス、旋盤、ボール盤、昨年9月に購入したばかりの最新のMC(マシニングセンター)まであります。総合的な金属加工が可能であるということで、かつてはF1の部品も作ったとのこと。

 静電気除去装置の放電部は長尺プレーナーを使い、手作業で削っていきます。この加工は、まず基準となる面を確保し、材料を平らに仕上げる。そしてその面を基準にして、つかみしろを考えながら、削っていく。長い素材が多いだけに、このつかみしろを考えうまく押さえて安定させることが非常に難しく、他のところではなかなか真似することができない、熟練を要する技術だそうです。また、削るための刃物も自社製。この長尺プレーナーをつかって削る技術が国分工機さんの核となる技術であり、強みでもあります。

 インタビューに応じていただいた国分寿哲さんは、料理、三味線など多趣味なかたで、どちらもプロ顔負けの腕前。今年の4月からは小学校のPTA会長に就任し、昨年会長を務めた工和成年会の会合にはなかなか出られないそうですが、成年会では「みんなで一丸となってなにかをやりたい。」と熱く語ってくれました。

 町工場というものにこれまであまりふれる機会がなかったのでどきどきしながら訪問させていただきました。実際に完成部品を見せてくれながら、試行錯誤し工夫して作っていくことを真剣に語ってくれた国分さんの姿を見て、職人魂の一片に触れることができ、またもの作りの魅力を感じることができました。国分さんに冗談で「うちで働けよ」なんて言われましたが、もの作りの現場で働くということを少し本気で考えさせられました。最後になりましたが、未熟な私達を快く受け入れてくださった国分さん、ありがとうございました。

(2001年5月18日訪問)