全自および全自日産分会の研究

 全自とは戦後初期の自動車関係の産業別労働組合である、全日本自動車産業労働組合の略称で、日産分会とは、その下部組織、日産自動車分会ということになります。全自は日産分会が闘った1953年の日産争議の翌年、その争議費用をめぐる貸付金問題を契機として解散することになります。また日産分会も、会社や第二組合の弾圧の下、1956年に解散しました。
 全自が存在していたのは1948年から54年までの7年という短い期間ですが、しかし、総評の最左翼と呼ばれたことからもわかるように非常に積極的な活動を行ってきたことで知られています。特に職場闘争は、現場に根差した強い職場規制として、多くの研究で言及されてきました。しかし、不幸な経緯で解散となったために、その資料も散逸していますし、またこれまでの研究もその視座が時代的制約によって歪められてきたものも少なくなく、その全体像が明らかにされてきたとは言えない状況にあります。
 私自身は、元全自関係者に知己を得、「浜賀コレクション」*という新資料に出あう僥倖を経験し、この資料を検討していくなかで、全自的な労使関係の枠組みが崩れていったところに、「企業社会」と言われるような企業中心の社会構成が形成されていくプロセスが顕在していると考えるようになりました。これまで注目されてこなかったが、しかし、企業社会の形成を考えるとき、見落すことのできない多種の問題群(査定、女性の雇用、配置転換等々)を、全自や日産分会が扱ってきていることが分かってきたからです。
 本サイトでは、筆者の全自および全自日産分会関係の研究成果や資料等の公表の場としていきたいと思います。このサイトを通じて、一人でも多くの人に全自や全自日産分会の歴史に興味をもっていただければ幸いです。またご意見やご感想をお待ちしております。なお、まだまだ未発見の資料が沢山あると考えております。全自、全自日産分会、日産自動車などに関する資料を所蔵されている関係者やその御遺族の方がいらしゃいましたら、是非ご連絡いただければと思います。

*「浜賀コレクション」は2013年3月にご遺族の方より東京大学経済学部資料室に寄贈されました。今後、資料整理や保存手続きを経て公開されることになります。浜賀氏逝去後、この資料をかつて拝借していた者として、その行く先を心配していましたが、移管先が決まり安堵しております。御遺族の方に感謝するとともに、御遺族との連絡に労をとっていただいた和光大学の道場親信先生、また受け入れに尽力をつくされた東大の小島浩之先生に御礼申しあげます。(2013年7月4日記す)
和光大学の道場親信先生が2016年9月に逝去されました。その後の「浜賀コレクション」をめぐる動きについては、早稲田大学の鳥羽耕史先生が「蔵書のリレー:浜賀知彦コレクションについて」(『神奈川近代文学館年報』2019年8月)としてまとめてくださいました。関心のある方は是非、ご一読ください。(2020年1月26日記す)

本研究の実施にあたっては平成21〜23年度科学研究費補助金(基盤研究C「戦後初期における企業内秩序の形成過程」)、および平成24〜26年度科学研究費補助金(基盤研究C「労使関係の展開と企業内秩序の形成」)、平成27〜29年度科学研究費補助金(基盤研究C「戦後大手自動車メーカーの人員体制の構築と労使関係」)、平成30〜32年度科学研究費補助金(基盤研究C「自動車メーカーにおける戦前・戦時と戦後の人事労務管理の連続性と断絶に関する研究」)の支援を受けています。

2012年5月 吉田誠(立命館大学産業社会学部 教授)
e-mail:makotoy"at"fc.ritsumei.ac.jp
"at"を@に換えてください。
2013年1月1日 若干の修正

本研究におけるこれまでの成果