2002年の日々の雑感
(それ以前のもの:2001年2000年99年96年〜98年
  • 12/24 三連休の後半、風邪で寝込む。どうにか今日は復活したので、自宅で原稿執筆に勤しんでいたところ、ある先生より学部のウェッブ・サーバが落ちているよという連絡を受け、サーバをリブートしに大学へ。
    そもそも学部のサーバーというのは、コンテンツはさておき、ハード的なことは大学の情報処理センターが責任を持って管理すべきことなのであろうが、数年前にセンター側がそれは管轄外ということで学部の教員が設置・管理してきた。予算も厳しいなか、しかたがないので10年もののパソコンを、サーバー用途に適したOSに変えて鞭打ちながら働かせている(こんなことができるのはS先生のボランティア的献身があるおかげであり、商学部の教員の方ならいまさら言わずもがなのことであろうことは言うまでもない。)。これまでの数年間、この体制でやってきてほぼ問題がなかった。ところが今年の後半に入って、毎月1回落ちるようになってきた。老兵も静かに去るときを迎えているということなのだろうか。
    ところで考えなおしてみれば、学部教員によるサーバーの設置・維持・管理というのは、この大学で現在進められている学部事務室廃止を先取りして、大学事務部門としては学部自治をサポートしませんよということだったのだということに今さらながらに気づかされる。たまたま先週、京大経済学部の某氏を囲んで市大の先生と呑んだときに、この話が出てきて、京大では学部サーバーとはいえ、センターにあたる部署が管理しているという話を聞いていただけに、その思いを強くした。
    それだけではなく、本来、教育・研究に資する目的で作られたはずの施設が、その管理部署の強化ということに伴ない授業等で実質的に利用できなくなるということが起っている。教育・研究をサポートするために作られたはずの部署が、今では学部の教育・研究なんて二の次と言わんばかりの組織風土になっているということだ。まあ縦割り行政とはそういうものだという話にすればそれまでだが、「改革」という名の下に、事務部門だけが縦割り化に進むというのは何か解せない。
    そんなことを考えながら、歩いているとたまたま会った同僚から鬱になるような学部の話を聞かされ、また事務室では新な雑務を指示され鬱になった云々。。。。などと酒をおありながら愚痴を書いていたところ、手元のグラスを倒して、泡盛をキーボードにぶっかけてしまた。うーん、spacekeyを押しぱなしの状態のキーボードとなり、使えなくなった。まあ乾けばどうにかなるだろうが、それにしても散々なイブとなった。

  • 12/11 月火と1年ぶりの風邪で寝込んだ。特に月曜はひどく、あまりにも激しい嘔吐と腹痛に苦しまされた。ひょっとして季節外れの食中毒かとも思ったが、翌火曜にはしっかり連れ合いにうつり、夫婦で寝込んでしまっていた。こうなると幼稚園への送り迎えもできないので、子供はピンピンしているのに結局休ませてしまった。
    また、月火は授業とゼミを入れている曜日でもあり、体調は無事回復したものの、今後を考えるとちょっと憂鬱でもある。

  • 11/4 金曜日からの2泊3日にわたった日本労働社会学会の大会、そしてLabor Festa 2002への参加と、家族を蔑ろにしつつ連休が終っていった。
     今労働社会学会では6年間におよんだ幹事の任期をまっとうするとともに、企画からかかわってきたシンポジュームも無事終り、本当にホッとした。それもあってか、いつもは寝付きが悪いにもかかわらず、昨夜は10時過ぎにカックと寝いってしまった。また立ち上げからかかわってきた学会のホームページについても、組織として無事引き継いでいただけることになり、安堵している。
     本日中野で行われたLabor Festa 2002には、ケン・ローチ監督の映画Bread & Rosesをお目あてに出かけた。アメリカの清掃労働者たちの戦いを軸とし、移民労働者たちの苦渋、裏切り、人間関係を描いた作品に、後味が決して良いとは言えないものの、正直感動した。
     また、映画の後にこの作品のモデルともなったSEIU(全米サービス従業員組合)の活動家ビクター・ラメレス氏の講演が行なわれたが、氏がさかんにスペイン語でアピールしていた言葉、英訳して"Yes, we can!"というのが印象的であった。どこかで聞いた言葉だなということで思いだしたら、我ホームページに掲載させてもらっている現役労働運動活動家Oidon氏の米国での労働組合体験記のタイトル、まさに"Si Se Puede!"であった。会場でもらったBread & Rosesのポスターを研究室にでも張って、鬱になりがちな中で明日への活力へと変えていくための言葉として銘記しておこうと思う。

  • 10/8 今日、大田区下丸子の田中精密機械製作所社長、田中稔人氏の訃報に接した。大田区の調査で知己を得、この数年ずっとお世話になってきた方だ。
     氏に初めてお会いしたのは98年に行なわれた経営サロンと称する工和成年会主催の飲み会であった。どなたかに紹介されてお話しすることになったのだが、開口一番「何を調べたいの?」とぶっきらぼうに質問をぶつけられた。しどろもどろに答える私に、わかってないなという顔をしながら、この町、この業界についての審問が続いた。それまでに聞きかじってきた話で一生懸命答えていたが、そんな借りものの知識には納得しない。工和成年会のイデオローグ、いや鬼軍曹よろしく、現場知らずの青二才をギャフンと言わせてやるという感じである。正直、とっつきにくい人だなというのが第一印象であった。ただ、私の話が院生時代の工場体験に触れた時、氏の表情が少しだけ和らいだことはなぜか今でも記憶に残っている。
     次にお会いしたのはいつだったのかは憶えていない。ただ、それ以来、工和会や工和成年会の行事で会う度にお話しする関係となり、その中で当初の恐い審問官の印象が徐々に薄れていった。むしろ、いつも「せんせい、せんせい」と丁寧に対応していただきながら、逆にこちらがいろいろとおそわっている奇妙な関係となった。そして話題も、町工場の話にとどまらず、氏の趣味である歴史や野鳥へとどんどん広がっていった。そんなある日、いつものように「せんせい」と呼ばれたときに、「とんでもない。こちらは教えてもらうばっかりで何も教えてないんだから、そんな風に言われると来れなくなっちゃうじゃないですか」と答えると、「じゃあ、今度、アンケートやってよ」と言われ、それをきっかけに取り組んだのが99年夏に行なった工和会会員に対するアンケート調査だった。
     昨年、イタリアの研究者パオラさんと工和成年会との懇談会をもったときに、これでもかというほどに大田区の現状をしゃべってくれたはずの氏が、終わった後での飲み会で「今日はイタリア製のシャツを着てきたんけど、言えなかったなぁ」とぼそっと呟いた。今、思い返すと、初対面での審問は、このシャイさの裏返しだったのではないかとさえ思える。自分の大好きなこの町やこの業界のことについては饒舌に語ってくれるが、自分のことについては親しい仲間にしかしゃべらない。そんなシャイな面を持った人でもあった。
     小関智弘氏のエッセーにも取りあげられたこともある氏。いつもは少々辛口コメントの多い氏が、少し照れながら「さすが小関さんだ。」とそのエッセーをべたぼめしていた。確かにそのエッセーは、一緒に掲載されていた写真とともに、氏のシャイな一面を捉えていた。その時以来、この人からほめ言葉をいただけるような論文を書かなければと思うようになった。
     最後にお会いしたのは、先月のビアパーティー。99年のアンケート結果と今年2月の田中氏へのインタビューを中心に書いた論文の草稿をお渡しし、「ようやく書けましたので、コメントを下さい。ただ、あんまりいじめないでくださいよ」と言ったところ、さっそく一瞥しニヤッとされた。「自分で自分の論文を引用しやがって」とやりかえされたのだ。次の二次会もご一緒したものの、席が離れていてお話しできず、「じゃあ、せんせい、先に帰るよ」と挨拶されたのが最後で、氏からほめ言葉をもらうことも叶わぬこととなってしまった。
     まだ46歳という若さでこの世を去られた氏の無念さを思うと、涙が止まらない。ただただ氏の御冥福をお祈りするばかりである。

  • 9/30 後期の授業が再開。新ゼミ2年生の元気のよさに圧倒される。

  • 9/24 初めてスキャナを手に入れた。パソコンをはじめた頃はうん万円もして、欲しくともとても買う気のおこらなかったものだが、今じゃ1万円をきっている。消費者として安くなるのはうれしいことだが、わがスキャナにも当然のようにMade in Chinaの刻印。空洞化という現実を考えると本当に手放しで喜んで良いものかと考えさせられもする。
     まあ御託は抜きにして、せっかくだからということで、先週立ち読みできなかった人向けにスキャンしておきました。ご興味のある方はここを御覧ください。

  • 9/22 ゼミ合宿から帰ってきて、久しぶりに大学に出向くと、来週審査しなければならない博士論文と修士論文(中間報告)が山のように積まれていた。夏休み最後(!)の連休はゼミ合宿の疲れを癒しながら、家族とゆっくり過ごそうと思っていたが、ちょっと無理のようだ。

  • 9/15 9月に入ってそこそこ忙しくなり、このページの更新もさぼりがち。先週行われた工和会のビアパーティーや、昨日出席した研究会などでも、「最近、ホームページを更新していないねぇ」との声をいただいた。
     忙しさに加えて、ホームページ作りの熱が冷めてきたというのもあるのだが、それだけではない。現在、私の在籍する横浜市立大学は存廃をも含めて議論され、その運営についても様々な問題が持ち上がっている。そうした中で、私事を中心とした「お気楽な話」を書きつらねていく気にはとてもならないのだ。ちょっと鬱が入ってきたのかもしれない。
     憂鬱な話はさておいて、二つほど宣伝をば。一つは私も執筆に参加した『グローバル時代の企業と社会』(齋藤毅憲・石井貫太郎編著 ミネルヴァ書房 3600円)が出版されたこと。私は第9章の「ゆらぎの中の働き方」を担当し、労働時間の視点からこの10年を振り返ると企業社会的働き方はまだまだ克服されていないことを論じてみた。興味のある方はご一読いただければと思います。
     もう一つは『サンデー毎日』の今週号(9/29号)に私のコメントが掲載されたこと。「できないやつは1年でクビ・・」というカバーストーリーにおけるコメントで、ご丁寧なことに私の顔写真入り。こちらのほうはお暇なおりにでも書店で立ち読みでもしてみて下さい。
     さて、連休明けから、ゼミ合宿で1週間ほど家を留守にしております。モバイルなどという現代的なコンピューティング環境は有しておりませんので、メール等での連絡はとれなくなります。ご了承下さい。

  • 8/26 先の週末、この春にゼミ合宿で行った銚子へ1泊2日の家族旅に出かけた。ゼミ合宿では観光はいっさいなく、ホテルに閉じこもりゼミに徹したが、今回は犬吠埼の灯台やマリンパークにも出向き、表向きは完全な観光旅行。しかし、実は隠れた野望が。。。
     銚子半島は知る人ぞ知る化石の宝庫で、アンモナイトやサメの歯がザクザク採れるという。前回のゼミ合宿の後、空き時間に散歩した海岸がその化石の産地だったと知って悔しい思いをしていた。そこで今回の目標はサメの歯ということで、家族を誘い出したのだった。アリバイ的に観光をした後は、子どもそっちのけで、初日の午後と2日目の午前を使って採取に励んだが、成果は貝殻の化石の破片らしきもの1個だけで終わった。
    ところで、さすがに有名な化石の産地ということもあって、それらしき人もちらほら。たまたま妻が声をかけた初老のおじさんもその一人。とても親切な方で、何も採れないでいる素人の親子連れに採取法を丁寧に教えてくれただけでなく、有り難いことに採ったばかりのサメの歯の化石まで譲っていただいた。
     連れあい的には大満足のようだが、自分としてはやっぱりこの手で採取できなかったのが残念。次回こそリベンジをという思いが募っていく。それを察してか「パパは貝の化石見つけたんだよね。凄いよね」と長女は慰めてくれるが、その後に「ママが来年はアンモナイトセンター(福島県いわき市)に行くって言ってたよ」ときた。まったくもうという感じである。

  • 8/21 8月最初の日曜日(4日)に親子で参加した氷取沢で行われた自然観察の主催者から写真が送られてきた。あわせて地元のCATVでも放映されたとのことで、その放送を紹介したホームページのコピーも入っていた。放送は見逃してしまったが、娘と共にしっかりと写ってしまっていたようです(笑)。

  • 8/19 お盆期間は学会の仕事に忙殺。大会にジャーナルと、何か負担感が高いのは気のせいであろうか。プリンター購入後も遅々として進まない論文の言いわけぢゃないけれど。。。

  • 8/13 執筆中の論文が立ち往生状態。筆が進まないのは環境や道具のせいとばかりに昨日、自宅にレーザープリンターを導入。実売価格3万円を切った低価格品ながら速いし奇麗。なにせ、比較の対象が7年前に入れた研究室のものだから当然か。

  • 7/23 立っているだけで汗が出てくるそんな灼熱のなかで試験監督。
    午後、某新聞社からの取材を受ける。まだ論文にしていないことを話するということは忸怩たるものがあり、早くまとめなければとの思いを強くする。

  • 7/15 前期の労務管理論の試験を行う。珍しく、その日のうちに採点を済ませる。平均点44点。持ち込み可の試験なのだから、もう少し平均点が高くてもよいはずなのに。。。後期試験もあるとはいえ、救済策をこうずるかどうか思案中。
     このところ、ちょっと悪いこと続き。今日も人事から連絡があり、給与の支払いに間違いがあったということで、総計10数万の返還を求められる。ちょっと釈然としないものを感じるが、仕方ない。でも、税金とかの扱いはどうなるんだろう?聞くのを忘れてしまった。

  • 7/9 火曜日はゼミの日。朝10時半から夕方6時過ぎまでゼミの連続。今日は2年生のゼミの二次募集の面接と重なって、休む暇もなくてんやわんやの状況になった。そんな中、ゼミOBの就職と結婚、ゼミ生の内定といううれしい話が三つも舞い込んできた。疲れを吹き飛ばしてくれる喜ばしさである。三人の方々、本当におめでとう。

  • 7/6 昨日、「学生たちが観た町工場」第5回めということで1000分代の精密研摩に携わる興南研磨を訪問させていただいた。訳あって今回、引率したのは学部のゼミ生ではなく、大学院のゼミ参加者に行ってもらうことになった。私自身は4回目となる訪問であったが、浜田社長にはいつものパワフルさでもってお話し頂いた(インタビューの様子はこちら)。
     インタビュー終了後、武蔵新田の居酒屋で院生たちと打ち上げ。町工場見学の面白さを皆で語り合い、ほろ酔い気分で帰ってきた。

  • 6/26 昨日、工和成年会の前会長のお誘いがあって、大田区の工場見学を行ったある財団法人との懇親会に参加させていただいた。今回の工場見学はアジアからの若きエリートたちを招いたフォーラムの一企画であったそうだ。
     大幅に遅刻しての参加になったこともあり、雰囲気に乗り遅れてしまって、一人たたずんでいると、財団の事務局の方からネームプレートを見て「吉田先生ですね」と声をかけられた。実はこの企画、インターネットで何かよい企画のためのヒントはないかと探していたところ、私のゼミ生たちが昨年行った「学生たちが観た町工場」に偶然辿り着き、「これだ!」ということでリンクを辿って工和成年会に工場見学等をお願いしたのだという裏話を聞かせていただいた。
     話半分で聞いたとしても、なんともうれしい話ではないか。ゼミ生たちが書いた記事が全く知らない人に読まれ、そして互いに知らない人どうしを結び付けていく力を持っているなんて、まったく思いもよらなかったことである。苦労しながらも頑張った甲斐があったねと、卒業生を含むゼミ生たちに伝えたい気分になった。
     今年度に入って、てんやわんやの状態で、しばらくお休み気味の「町工場」企画であったが、がぜんやらねばという気持ちにさせられた。また、市大商学部OBという財団の方ともお話する機会があり、卒業後30年近くなっても母校の現在(いま)を思うOBの気持ちをお伺いし、これまたがんばらねばという思いにさせられ、やる気を頂いた懇親会となった。

  • 6/10 久しぶりに体重計にのってみると、最近の不摂生がたたって78Kg。去年の今頃より5kgは太っていた。これはまずいということで、今日は夕食まで一食も摂らずに授業を3コマこなすも、最後はヘトヘト。体の脂肪よりも、脳の灰白質が燃焼されたような疲労感。

  • 5/17 38になる。残り短い三十路を悔いのないよう過ごそうと思う。

  • 5/6 GWの後半は一日おきの外出。3日に井の頭公園、5日にこどもの国に出かけた。結婚記念日でもあった3日は井の頭公園の後、結婚して最初に住んでいた国立まで出向く予定だったが、公園で遊び過ぎて疲れて結局断念。またの機会ということに。なじみの呑み屋にちょっと顔を出そうと思っていただけに残念。また5日に出かけたこどもの国は予想以上に大きな施設でホンの一部で遊んだに過ぎなかったが、子供たちはくたくたになるまで楽しんでいた。

  • 4/30 週末、ゴールデンウィークの前半を利用して久々に家族で高松へ帰省した。両親が連日、子供たちを公園に連れて行ってくれ、子供たちはくたくたになるまで遊び大満足のようであった。
    子供の遊びにつきあってばかりの帰省となったが、久しぶりに連日さぬきうどんを食べることができ、自分としてもそれなりに満足いくものとなった。

  • 4/14 週末、大田区の工業団体、工和成年会の総会と懇親会に出席し、楽しいひとときを過ごさせていただいた。お呼びいただいた田中隆前会長をはじめ、神永昌浩新会長および会員の皆様方にお礼申し上げます。
    多少二日酔い気味であった翌土曜日、家で飼っていた魚を元いた川に帰しに出かけた。昨年、某所で採取した魚も、最初はメダカと間違われる位の大きさであったが、この1年で10センチ近くにまで成長し、7匹飼うには水槽が狭くなったからである。そこで、7匹のうち5匹を元の場所に帰してやることにした。水槽から解き放たれた魚たちは、はじめは躊躇したようだったが、すぐにサッーと泳いで行った。自然の中でも元気に生きてほしいものだ。
    魚を帰してやった後はピクニック。子供たちは、小川でエビ取りをしたり、近くの牧場で乗馬を経験をしたりで、麗らかな春を楽しんでいた

  • 3/15 衝動的に新iMacを買った。この間、ノートパソコンなどは買っていたが、自分専用のDesktop機としては5年ぶりの買い替え。液晶もきれいだし、外付スピーカの音もそこそこ良い。何よりもこれまでのパソコンよりもぐんと静かなのが気に入っている。OSも一新されたこともあり、ここ数日は作業環境の移行で潰れそうである。

  • 3/9 ポカポカ陽気に誘われ、家族で化石採取に大磯海岸へ。色々調べて行ったにもかかわらず、迷いに迷ったが、それでもどうにか産出地にたどり着けた。本やネットに書かれていた通り、貝の化石が密集していて化石床を形成していた。ただ状態は良くなく、結局貝の破片をいくつか採取してだけ。それでも初めて出かけた化石採取で、本当に採れるとは思っていなかった家族たちは喜んでいた。

  • 3/2 昨日はゼミの卒論発表会と追いコン。これで4回目となる卒論発表会だが、これまでで最も多い8人の発表となった。このためお昼から始めて19時までの長丁場となったが、みんな力の入った発表を行ってくれた。
    また発表会後の飲み会は、4年生の追い出しコンパと新しいゼミ生の新歓となった。盆と正月が一緒にやってきたようで、学年を超えた交流はちょっと難しかったが、徐々に先輩後輩の交流ができてくればと思っている。また3年生が卒業生に色紙や卒業記念品を送り、卒業生は喜んでいた。これまでとはちょっと雰囲気もかわったようだ。

  • 2/22 久しぶりに研究会続きで充実した先週末だったが、今週はレポートの採点やゼミ面接、論文のレフリー、研究会報告の要旨作成、大学院入試などであわただしく過ごす。
    この4月に転出されるマーケティングの先生のゼミから2年生8人のゼミ生を引き受けることになった。早速、来週末は4年生の卒論発表会で早くも顔合せ。これまでとは毛色の大きく異なる新しい分野の勉強に足を踏み出すことになる新ゼミ生たちは、大変だろうが頑張って欲しいと思う。

  • 2/13 慌ただしく過ごした連休を終えて、ゼミ生の卒論を読む。「学生たちが観た町工場」プロジェクトをきっかけとして聞き取り調査を行ったゼミ生もおり、うれしく思う。教師としては、今回書いてもらった卒論を出発点として、さらに深めてもらいたいと思わせるような力作ぞろいであった。

  • 2/6 テストの採点が一段落し、夏冬2回課していたレポートの採点を始めたところで悲しいことを経験した。某男子学生の冬のレポートのできに不自然さを感じネット上で検索してみると、ある院生がネットで公開していたエッセーからの丸写しであることがわかったのである(皮肉なことにその院生の別のエッセーには私の論文がリンクされていた!)。先に読み「(うまくまとめているが)思想的格闘の跡がない」とのコメントをメモしていた彼の夏のレポートも同様に、ネット上にでていた書評と報告をつなぎあわせたものであった。
     丸写ししてもばれないだろうと思われていたこと自体が悔しいことだが、もっと悲しいのはレポートに託していた思いが学生に伝わっていなかったことだ。関心も異なるであろう学生たちに、あえて労働・労務の課題図書を指示してレポートを求めるというのは、機会を逃すと手にとることさえないかもしれない本との出会いの場を設け、自分を取り巻く世界や知の広がりを感じてもらいたいということがあった。くわえて、どんなに拙くともよいから、自らの頭を使って良書と格闘することが、今後の思考のための一助になるはずだという思いもあった。
     これは、決して真面目な学生とは言えなかった自分が、それでもなおレポートやテストを一つのチャンスと考え、授業の課題に取り組むなかで多様な知に巡り合うことができたという経験に根ざしている。今でも学生時代に書いた拙いレポートの草稿はファイリングしてとっている。今読めば赤面したくなるような内容のレポートばかりだが、それでも10数年前の自分の思考の痕跡がそこには刻み残されており、この苦闘なしには今の自分もなかったであろう。学生たちにも同じような体験をしてもらいたいという思いから、レポートを課していたのである。
     しかし、こうした思いがもう学生に伝わらないのだとしたら、指導方針を変えなければならない。当の男子学生をどう遇するかということも頭の痛い問題だが、来年度からの教授方針を見直さなければならず、こちらの方が深刻な問題である。また、レポートも全部まだ読み終えていない。他の学生たちのレポートを疑心暗鬼に陥らず、しかし警戒しながら読まなければいけなくなった。ウブな教師には本当にしんどい仕事になりそうだ。

  • 2/4 自らの労務管理論を含め、朝から3つのテスト監督で一日が潰れる。採点はこれからだが、テストと一緒に書いてもらった労務管理論の授業の感想をパラパラとめくってみた。「厳しい意見は見て見ぬふりをする」として、色々書いくれていて楽しめそうだ。

  • 1/22 昨日、本年度の最後の授業を終え、今日は4年生最後のゼミを行う。いずれも個性派ぞろいのゼミ生たちで、思えば長いような短いような2年半でした。卒論〆切が1週間後と迫っており、大学時代最後の頑張りを期待しているところです。

  • 1/14 連休の最終日、家族で東京タワーに行く。展望台からの景色は、ちょっと曇っていたこともあり、遠くまで見えなかったのが残念。ついでに蝋人形館、トリックアートギャラリーや水族館など全施設を回る。子どもたちは満足したようですが、結構な散財となりました。

  • 1/11 工和会の佐山さんから紹介されたということで、某大手新聞の記者さんが研究室に取材に来た。2月に企画している特集記事の予備取材とのことで、矢口・下丸子地区に関することを聞かれた。普段は調査屋として聞き手の側に立っているのだが、今回はなれない逆の立場ということでインフォーマントの方々の大変さを実感。

  • 1/10 今年最初の教授会。久しぶりに荒れることなく、早く終わりホッとする。

  • 1/7 正月は初売りで買ってきたゴッドファーザーI〜IIIのDVDを観て夜更かしの連続。三が日が過ぎに再開した原稿執筆だが、今日ようやく書き上げた。フ〜。

  • 1/1 明けましておめでとうございます。世間的には暗いことばかりの昨年でしたが、今年は明るい年になればと思ってます。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。


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