2004年の日々の雑感
(それ以前のもの:2003年2002年2001年2000年99年96年〜98年
  • 12/30 2004年もあと二日ということで、今年の自分の生活を振り返ると、本当に大変な年であった。ようやく1年が終ったという感じである。
    今年の正月は前任校の教員組合の書記長に就任するという決断から始まり、2月末になって転任が急遽決まり、親しい仲間の先生やゼミ生たちと別れ、故郷での生活に突入した。転任して半年以上がたち新しい生活も相当落ち着いてきた。
    まったく馬鹿げた役人主導の大学解体につきあわされた前任校の最後は、憑きものにとりつかれたような状況であった。大学執行部と役人は市大の大学教員であるということが悪であるかのような言説を蔓延させていた。横浜市大の教員のみが普通の大学教員であることを許されず、人生設計も滅茶苦茶にされてしまいかねないという危機感に呵まされる毎日であった。精神的に病みそうであった。
    先日、市大教員組合の事務室を再訪したとき、専従の方から「先生、転任されて本当に生き生きとされてますね」と言われた。いまだ心の傷は癒えてないものの、それでも憑きものから逃れられたためであろう。
    今の大学に不満を感じることもある。しかし、前任校在籍時の精神状況からすれば、天と地との差ほどある。とりあえず普通の大学教員の不平・不満ですんでいることを幸福としなければならないのかもしれない。
    以下は今年発表した仕事。関心のある方は御一報ください。

  • 12/14 横浜から帰ってきた。今回、ゼミの卒業生と現4年生、3年生と再会をはたすことができた(その様子12)。社会で頑張る卒業生たちの顏を見て元気をもらい、ゼミ解体でバラバラになってしまった3年生たちが、それぞれ新しい先生の下で活躍している話を聞いて、とても心強く感じた。
    ただ4年生の卒論については、叱咤せざるをえない状況だったのが残念。本気で取り組まなければならない時期にきていることをまだ実感できていないよう。でも、きっと良い卒論を提出してくれるでしょう。

  • 12/10 大学時代の先輩、稲葉振一郎氏のblogにこのサイトが紹介されていた。さすが気鋭の人気研究者だけあって、その影響力は絶大。この二日間で通常の十倍以上のアクセス数になっている。
    明日より横浜。久しぶりの家系ラーメンだ。

  • 12/7 5日より高松に来ていた市大時代のゼミ生3名が帰っていった。
    嵐の余韻が残る5日の午後に到着した彼らを、まずはうどん屋「池上」にまで連れていき、製麺屋系のさぬきうどんを堪能してもらった。その後、居酒屋「椿ヤ」に場所を移し、香大ゼミ生たちと交流をした。椿ヤのおばちゃんをも巻き込んで夜遅くまで呑む。翌6日のお昼には大学の近所のさぬきうどんの名店(竹清とさか枝)を案内し、夜は自宅に招いて呑んだ。
    本日最終日には私の授業に出席していった。帰りの船の関係で途中退席したが、大教室の一番後ろの席に陣どった彼らが、退席時に「ありがとうございました」という横断幕(?)を掲げてくれていたのには驚いた。うれしかったが、授業の最中なので何のリアクションもできずただただ照れていた。本当に良い学生と巡りあってよかったと感じた三日間であった。
    今週末からは卒論指導等で横浜へ出向く。懐しい人たちとの再開を楽しみにするとともに、彼ら三人から高松の感想をじっくりと聞きたいと思っている。

  • 12/4 昨日の人的資源管理論の授業で、テストの結果と今後の方針を発表した。陰で随分と不平を言っている学生がいたことをあるゼミ生が教えてくれた。また、研究室に乗り込んできた学生もいた。救済策だということに気がついてくれていないようだ。
    季節はずれの台風から変った低気圧が四国に接近しており、午後から激しい雨。明日、市大時代のゼミ生が高松に来ることになっているが大丈夫であろうか。ちょっと心配。

  • 11/30 人的資源管理論の中間テストを実施。さっそく採点に入るが、200枚を超える答案にちょっとへたり気味。
    備忘録としてA4のメモ用紙1枚のみを持ち込み可としたが、答案の出来には随分と差がある。持ち込み可だからということで、おそらく他の人が作った備忘録を丸写しして持ち込んだだけの学生もいたのだろう。
    このままじゃいけないと感じ、妙案を思いついた。今回のテストで合格点に達している学生は最終試験でも備忘録の持ち込み可とし、合格点に達していない学生には持ち込み不可とするのだ。これで今回真剣に勉強しなかった学生もまじめに取り組んでくれるかもしれないし、やる気を逸っしている人はおそらく自発的にリタイヤしてくれるであろう。
    我ながらナイス・アイディアと思っているのだが、どうだろうか。識者の皆さんの御意見をお待ちしてます。

  • 11/23 講義日と祝日が重なりちょっと精神的に余裕ができた。ようやく今週末の授業で折り返し地点。来週は中間試験を実施する。そろそろ問題を作らねば。

  • 11/13 近所を散歩中に名だたる銘酒(日本酒、焼酎、泡盛)が置かれている酒屋を見つけた。何よりも嬉しかったのは高松では入手を諦めていた春雨が置いてあったこと。店主の話によると、今年、宮里酒造(春雨の製造元)の社長を高松にお呼びするなど、交流しているらしい。小さいながらも意欲的な酒屋を見付けることができたのは望外の喜び。久し振りに、春雨の一升瓶を抱えて帰宅した。

  • 11/6 このページに書いてきた市大時代の最後の経験を別ファイルに移した。

  • 11/3 先週末から昨日まで学園祭。半期四単位の人的資源管理論の授業は週2回(火金)のあわただしいペースでおこなわれているが、学祭のおかげで一回とびということで、ちょっと一息つくことができた。
    この機を使って、労働関連ニュースクリッピングを再開することにした。連れあいが頑張って休止期間の記事の打ち込みをしてくれたおかげだ。毎日続けるのはなかなかしんどいが、少しずつ復帰のペースをつくっていきたい。なお、容量の関係でゼミ生用のサーバに移動。ご利用の方はブックマークの変更をお願いします。(11/7再度ファイルの置場を移動しました。お手数ですがご確認ください。)
    アイボ到着。

  • 10/30 昨日より大学の研究室のサーバへ学外からアクセスが可能になりました。ゼミ生のウェッブ・サーバとなります。まだホームページを完成させている学生は少ないですが、今後の成長を御期待ください。
    また市大時代のゼミ生・卒業生用の掲示板も新設しました。関係者の方、是非御利用ください。

  • 10/28 昨日は長女の10歳の誕生日。あっというまの10年に、しみじみと時の速さを感じてしまう。
    誕生日プレゼントはアイボにした。娘はずっと前からペットを欲しがっていたが、ペット禁止の住環境が続いているので、いまだに飼えないでいる。また今年は突然の引越しでつらい思いをさせしまった。だから、どの程度ペット代わりになるかはわからないが、希望に近いところということでアイボにした。今日、入金したので商品の到着は来週以降になるだろうが、娘はアイボのホームページを見て今から興奮している。

  • 10/20 台風23号襲来で大学は臨時休校となり、予定されていた会議も中止となった。また自宅周りの道路は冠水し、午後にはさながら川というような状況となっていた。高松では大潮と重なった8月の16号程の被害は出なかったようだが、それでも風雨ともに16号を上回る強い台風であった。
    突然人生を襲った嵐からはなんとか逃げだしたつもりであったが、脱出先の高松でリアル嵐に何度も直撃されることになろうとは思ってもいなかった。もともと台風や地震といった天災の少ない住み易い土地だった分、意外である。

  • 10/10 名古屋で開かれていた学会から帰宅。昨日は台風の下での開催となったが、昼のセッションが終った頃にはすっかり雨もあがっていた。ただ、横浜は随分と台風の被害が出たとのことを帰宅後知った。市大の人たちは大丈夫かな。ちょっと心配。

  • 10/6 昨日、万歩計を付けたまま授業を行った。授業中に何と3000歩近く歩いていた。ガイダンスだったので1時間そこそこで切りあげたが、狭い教壇の上を2km以上歩いていたことになる。いくら何でも動き過ぎだ。もう少し落ち着いて講義をしないと。。。。
    金曜から名古屋で労働社会学会。土曜の午後のセッションでは司会をしなければならないのだが、讃岐弁まるだしの司会はちょっとこっぱずかしい。いまさらながら、断るべきだったと後悔している。

  • 10/4 先週末、宿舎で草取り。たいした仕事をしたわけではないのに、運動不足の体にはキツく、三日越しの筋肉痛。研究室が三階にあるのがうらめしい。
    夕方、その研究室から別の建物の一階にある事務室に出向くと、教務から成績調査依頼書がメール・ボックスの中に入っていた。学生から前期の試験の成績に疑義があるので再度確認してもらいたいとのことだった。
    先日も同じ成績依頼調査のお願いがきていた。結構頑張ったつもりなのに、思ったような成績になってなかったのだろう。論述の解答を読みなおしてそれがわかった。随分と勉強した跡が感じられる。しかし、残念なことに論点をはずした解答となっていた。後髪を引かれる思いであっが、評価自体を変えるわけにはいかなかった。
    しかし、今日のは異なった。答案用紙を再度読み直してチェックしたが、「制度の濫用」という言葉しか思い浮ばなかった。躊躇することなく「成績訂正の必要なし」に丸を付し、印鑑を押して教務に出むいた。ただでさえ筋肉痛の足が、さらに重く感じた。
    大学は今日より後期の授業が再開。久方ぶりに、無邪気な笑い声と、自転車で中庭はあふれかえっていた。私も明日から授業。緊張と不安を例年よりも強く感じながら、準備にいそしむ。

  • 9/30 3ヶ月以上前に注文した研究室用のパソコン(PowerMacG5 2.5G Dual CPU)がようやく届いた。新製品発表とほぼ同時に注文したのだが、CPUの品不足から出荷が遅れていたためだ。随分と待たされたが、さすがに現時点で最速のMac。ちょっと重めの作業でも楽々にこなしてくれる。CPUにかかる負荷を可視化するソフトで見ても、まったくその能力を持て余しているかのようである。文系の教員にとってはオーバースペック気味にも思えるが、厳しい研究費の情勢からすれば、このコンピュータで3〜5年は乗りきらないといけないのが確実。このため奮発したのだが、その甲斐あったというものだ。待たされた時間を取り戻すべく、ソフトのインストールなど一日かけて環境の整備に費やした。
    ところで、この半年間、研究室で使っていたパソコンは6年前のパソコン。前の大学で備品として購入したものだが、古いので転出にあたって好きに処分してよいと言われ、持ってきたものであった。本当は廃棄するつもりだったが、まさかに備えて持ってきて大正解であった。とてつもなく遅いが、それでも無いよりはましである。新たにHDやメモリーの増設をしながら、なんとか半年しのいできた。今後はゼミ生用のWebサーバー(10/1時点、学外からは閲覧不可能。学外からの閲覧が可能となるには1ヶ月程かかるそうです。)に転用して天寿をまっとうさせるつもりだ。

  • 9/29 10月1日〆切の学内誌の論文を提出。どうにか後期開始前までに間にあい、安心。台風一過の涼しい風を受けながら久しぶりに泡盛を楽しんでいる。

  • 9/26 昨日まで香大のゼミ生と小豆島で合宿。正直、余りにもやる気のないゼミ生の発言に随分と幻滅する場面が多々あった。インタビュー調査を経験しても何も感じるものがなく、ただ義務的にこなしてきてやったという雰囲気を強く見せつけられたときには悲しくなった。また、合宿のうちあげではいつも本音で接しゼミ生の様々な面を見つけてきたつもりでいたが、今回はそれも不発に終った。
    とはいえ、初日の夜には少数のゼミ生とだが本音の話ができたし、またゼミを盛り上げるべく私の部屋に乗り込み、アドバイスをくれた学生たちもおり、彼らには励まされた。
    ゼミの雰囲気をどう再構築するのか。こんな重い課題を背負って新学期を迎えることになろうとは夢だにしていなかっただけに、ちょっと憂鬱だ。
    合宿疲れを癒す間もなく、今日は家族で化石採取へ出掛けた。徳島県立博物館の主催する化石採取の企画が香川県であるという情報を鳴門在住の弟より仕入れていたので、それに応募して参加することにしていたのであった。高松から車で1時間以上の場所へお弁当を持って出掛けた。現地では博物館の学芸員の方に案内され、採取場所の特徴を教えてもらう。発掘開始早々、モササウルスの歯を見つけた親子もおり、「ここは出る」と頑張ったが貝の化石など僅かの収穫しかなかった。残念。

  • 9/19 箱根で行った横浜市大4年生の卒論指導合宿を終え、高松に戻ってきた。市大の学生たちとは、これが最後の合宿ということで、夜遅くまで呑みあかした。本当に良いゼミ生に恵まれて幸せであった。
    難題続出にもめげず、頑張ってくれた合宿幹事は本当にご苦労さまでした。

  • 9/13 イプサムが納車されてほぼ1週間。納車後早々、実家の塀にこすってしまいちょっと鬱が入ったが、それにもめげずちょこちょこと乗り回している。

  • 9/6 先週末、日産争議関係者への聞き取り調査と工和会恒例のビアパーティーの参加のために上京。お世話になった懐しい方々に、ふたたび親切にしていただいた。多謝。随分と景気も回復しているようで、このところ忙しい日が続いているとの嬉しい悲鳴を耳にした。帰郷して中断している町工場の調査だが、時間と金を作ってぜひ復活させたいと感じた。
    昨日、納車。このところ練習に使っていた実家の車の少し大きくて感覚がまだつかめていない。家人はまだウチの車だという実感さえ湧いていないとのこと。

  • 8/31 昨夜遅く、台風と大潮が重なって、高松の過去最高の潮位を記録したとのことで、周りの道は冠水し、川のよう。深夜というのに救急車のサイレンがなりっぱなし。私のところは幸いなことに被害はありませんでしたが、近所では随分と被害が出たようです。

  • 8/27 病院へ行き、薬を飲むも、ノドは直らず。熱は出ていないので、普段通り仕事をできるのでまだいいのだが、思ってもいないような病気だったら嫌だなぁ。
    車を買うことになりそうです。

  • 8/18 先週末、クーラーをがんがんに効かせて寝ていたら夏風邪に。ノドが痛くて大変です。万歩計を付けて一日一万歩を目標にして歩き始めたのたが、さすがに今日は断念せざるをえなかった。残念。

  • 8/12 先週末から一昨日まで横浜に滞在。ゼミ卒業生、全自日産の関係者、労働運動関係者と会食し、また市大時代のゼミ生の卒論指導を行った。多くの人と会うことができ充実した3泊4日の旅となった。お付きあいいただいた多くの人に多謝。
    連れあいと子供たちはお盆で実家に帰省しているため、帰宅後は独身生活。しばらく誰とも話さない日々が続きそうです。

  • 7/30 昨日、今日で試験の採点を終らせた。疲れた。
    明日、子供たちと海に行くことになっていたが、台風直撃でちょっと無理そう。しかし、変なルートの台風だなぁ。週の始めの頃には、てっきり関東直撃で、四国は関係ないと思っていたのですが、裏をかかれた気分。
    うん?これは台風だけの話じゃないか。

  • 7/28 名前も挨拶もなく、ただ
    「テストのことで質問があるんですけど、経営管理概論IIのテストは、どのような形式で出題されますか?」
    とだけ書かれたメールが来た。唖然。返事はもちろんしていない。

  • 7/18 連れあいが102枚もあった授業の感想を二日でパソコンに打ち込んでくれた。頭が下る思いだ。興味がある人は御一読ください。感想の感想を頂けるとありがたいです(笑)。

  • 7/16 先般、新任教員の研修会に参加し、香大では全学共通の授業アンケートが行われていることを知った。しかし、なぜか今学期はそれが実施される様子がないので、昨日の授業時間中に自由記述で自主的に授業アンケートを実施した。
    嬉しいことを書いてくれている学生もいれば、辛辣な意見もあり、一喜一憂する。時間はかかるだろうが連れ合いにパソコンに打ちこんでもらい、昨年度同様ネット上でアップすることを考えている。
    で、今度は受講生に対する私の感想。概ね熱心に聞いてくれる学生が多くて安心した。大教室なのにガラガラになるという事態を恐れていたが、出席率も半分程度は維持できていたようで張り合いがあった。
    ただ、一部学生の私語と授業中の出入りが気になった。どちらも前任校では体験したことがなかったので困惑している。特に授業が終わっていないのに帰る学生や、堂々と1時間以上遅刻してくる学生がいると心中穏かざるものがあった。授業中に怒ると講義ペースが乱れて嫌なので今学期は放置してきたが、次学期以降は何か対策をしなければと思っている。

  • 7/13 前期の講義もあとわずかということで、気分は久方ぶりの研究者モードに変りつつある。横浜から持ち込んだ全自関連の資料の整理などを徐々に再開。ただ、そうなると教育者モードへの気持の切換えがうまくいかず予習が手につかない。学生の頃経験した、テスト前にテストとは関係のない本を無性に読みたくなるというやつです。困った。

  • 7/10 気がついた方もいらっしゃるかもしれませんが、このホームページから広告バーナーが消えました。これまで広告付きの無料サーバーを利用してきたのですが、料金を払って広告を消すオプションを選択したためです。
    従来のように大学の研究室にホームページを置くことを考えていたのですが、個人的な話や私見も多々書いていることもあって、問題にされると嫌だなということで、ここで運用を続けていくことを決めました。それで邪魔くさい広告バーナーを消すことにしたのです。
    ただサーバーの容量が厳しいので、いずれ研究室にサーバーを設置するつもりでいます。準備できましたら、順次、教育・研究関連のコンテツはそちらに移していきたいと思ってますが、トップ・ページは当分のあいだここに置いておくつもりです。安心してここのホームページのアドレスにリンクを張ってくださって結構です。今後ともよろしくお願いします。

  • 7/9 不在者投票というのを使えばどうも引越し先から投票できるらしいのだが、しかし選管に電話してみたところ今となっては時間的に厳しいとのこと。やっぱり棄権せざるをえない。

  • 7/5 選挙が近づいたということで、どこの投票所に行けばよいか投票の案内ハガキを見てみた。なんと横浜になっている。選挙公示日が6月中だったため、現住所に居住3ヶ月以上の条件を満しておらず、まだ高松市の選挙人名簿に記載されていないのである。
    残念。引越し棄権斬り。
    しかし、よくよく考えると、入社や人事異動で、4月1日を前後して広域転居する人というのは相当数に上ると考えられる。投票率の低下を危惧する声はよく聞くが、実は選挙に行きたくとも棄権せざるを得ない人を多数作りだすような日に設定されているのである。海外居住者さえ選挙権を行使できる時代に、引越し先から投票する制度もない。実質的に投票権を剥奪されている人がわんさかおり、これが投票率を下げることにもなっているという制度運用上の問題に初めて気がつかされた。

  • 7/3 まだ梅雨開けしていないはずなのに、真夏日が続いている。なにせ、横浜よりも赤道に近いので日射しがきつい。1分でも日向を歩いていようものなら、ジリジリと肌が焦げていく音が聞こえてくる。
    おまけに我が家は宿舎の最上階の四階にある。屋上が受けとめた熱で室温上昇。今日も窓を開けて外出したにもかかわらず、夕刻に帰宅すると部屋は30度以上となっていた。1時間程、クーラーをかけても焼け石に水。ためしに天上を触ると微温くなっている。こりゃだめだ。

  • 6/25 気がつくと、今年も半分が過ぎようとしている。例年ならば、「早くも」と枕言葉を添えるところだが、今年はまだ半分しか経っていないのかというのが実感である。横浜を去って随分のような気がするが、しかしまだ3ヶ月しか経っていない。あまりに大きな変化だったためだろうか。そんな話を連れ合いとした。

  • 6/21 台風6号が高松に接近し、大学は全面休講となった。とは言え、月曜に授業は入っていない。本音と建前のある世界、この気持はどう表現すればよいのだろうか。
    台風一過の午後に研究室に出むくも、昨日来の筋肉痛で動きがぎこちない。歳をとると疲労回復もままならないようで大変だ。

  • 6/20 昨日は居住している官舎のそうじ。同じ棟の人たちと2時間ほど官舎内の草刈りなどに従事した。鍬を持って、畑を耕すのよろしく雑草を掘り取っていった。強い真夏日で汗ダラダラ。そのため、今日は全身筋肉痛。
    前任校の理事長就任予定者の訃報をネットで得た。この一報を伝えている永岑先生のサイトには、僕のことらしき話も触れられていたので苦笑せざるを得なかった。確かに、先生の書かれている通りである。
    労働問題研究者として有期雇用の怖さを知っている分、任期制については楽観的になることができなかった。いくら再任可能と言われても、契約で定められた期間の雇用について両者が合意しているだけで、あとは白紙だ。経営者が「再契約はしない」と決めれば、それで終り。人員整理をする必要があったのだと言ってもよいし、性格が気に入らなかったのだという理由でもよい。黙っていても問題はない。そもそも再契約しないことについて理由の有無など必要ないからだ。たとえ間違った理由であったとしても、それを問題とすることができないというのは京大医学部の裁判が示しているところである。
    こんな任期制を突きつけられて、前任校での最後の半年は不安の毎日であった。自分の子供たちに義務教育以上の教育の機会を与えることができなくなるかもしれないという不安を抱き、そんな親となってしまいかねない自分のふがいなさを嘆いていた。9年前、別の大学を選択しなかった自分の不明を恥じたこともある。
    無論、一方的な労働条件の不利益変更は難しい。この件に類した変更解約告知も最近の判例では否定的ではある。しかし、今回のは部局の再編を含んでおり、ポストの変更を伴なう。新学部への配属の辞令には任期を付けてくるであろう。それに同意した教員のみが新学部に所属することになるということだ。任期なしの雇用を望むならば旧学部に留まるしかない。しかし、それは早晩廃止されてしまう学部であり、廃止に伴い整理解雇される可能性が高いのである。そんな追い詰められた状況を嘆いたり、憤ったりする毎日であった。
    そういう意味で、今の大学に来て、命の洗濯をさせてもらっている。今後学内行政も慌しくなり、悠長なことが言えなくなるのはわかっていても、この気持が正直なところである。
    折角なので、理事長予定者の死について思うところを書いておこう。まず理事長とは何かを書いておく必要あろう。市大では、理事長は独立行政法人化(=独法化)された後に大学の最高責任者となる。国立大学の独法化では、大学という組織の特殊性を鑑み、教学のトップである学長が、経営面での責任者である理事長を兼ねる仕組みになっているのだが、市大では学長と理事長とを分け、大学のトップは理事長とされ、学長は副理事長として経営に参画することになっているのだ。
    経営責任を明確にするという観点から、理事長と学長を分けたというのが当局の言い分だが、なんのことはない。市長指名である理事長をトップとすることで、大学に市のロボットを送りこむことが可能となり、大学は上意下達の組織となるということだ。独法化後の市大は、行政主導によって定められた中期目標と市長に指名された理事長でがんじがらめにされ、そこに自治的要素はほぼ残存していないことになる。
    さて、今回亡くなった人が理事長就任予定者であることが発表されたのは、昨年12月であった。市大の独立行政法人化がまだ市会で通る前のことだった。異例のことだが、独法化へ向けた既成事実の積み上げの一環としてなされたのであろう。
    慶應大学で長く事務方を務め、SFCの立ち上げに大いに手腕を発揮し、慶應大学の教授となった人だ。このプロフィールを聞いた時、アンビバレンツな気持を抱いた。一方では、少なくとも大学という機構に長く携わってきた人であり、大学が大学であるためには何が肝要な事かを理解しているであろうという期待感である。他方では、しかしこの時期に当局の要請を呑み、「改革」後の大将にならんという人だから、やはり不信は拭えなえなかった。
    今年度になって随分と会議の場にも出てきていたようだが、3月までは天上の人であった。そのため下端である私は直接、この人と接する機会はなかった。だから亡くなられたということに何らの感情も抱かない。市長と役人が担ぐとんでもない「改革」という御輿に乗った人が死んだというだけである。
    ただ気になるのは死を巡る政治である。当局は彼の改革の「遺志」を継ぐべくとして、いっそうの攻勢をかけてくるかもしれない。抵抗勢力により改革推進者に犠牲者が出たという格好の宣伝材料にしたてあげることもできよう。教員たちは抵抗勢力であり、この闘いの中で理事長予定者が心労で倒れたのだとキャンペーンを張り、非妥協的になる可能性がある。
    市大にいるかつての仲間たちを思うと、理事長予定者の死のもたらす結果は非常に心配だ。(6/29加筆)

  • 6/15 昼休み、連れ合いと自転車でちょっと遠くの池上製麺所という有名店に出むき、釜玉うどんを食す。毎日同じ店でうどんだと食傷気みにもなるけれども、しかしちょっと遠出をして店を探すと、またそれぞれの店に個性があって新鮮だ。
    ただ、最近なぜか横浜名物の家系ラーメンが恋しくなってきた。当地にはまったく家系のラーメン屋がないだけでなく、カップラーメンでも家系は絶無。そのため、学会出張で東京に出た時には、一個だけだが家系カップラーメンを買ってきて、懐しくすすった。あのぎとぎとした味と太麺は、結構讃岐でも受けると思うのだが。。。

  • 6/12 最近、ある人から前任校の惨状を聞く機会があった。一部語学の先生が、のっぴきならない状況となっているらしい。親しい人もいるので、心配だ。外に出てきていない話だけに、詳しい事情が分ったら、何が起っているか発信していきたい。

  • 5/31 市大時代のゼミ5期生のOさんから結婚したとの連絡をいただいた。ゼミ卒業生としては2人目の「快挙」。久しぶりのお目出たい話で、掲示板が盛り上がっている。

  • 5/25 拙論掲載の『大原社会問題研究所雑誌』547号の発売日。香川県では最大手の書店に出かけたが、やっぱり売っていない。残念。
     さて、この論文の掲載が決ったのは半年前の昨年12月頃。当時、ある研究会でお会いした大原社研の先生から「最近は投稿論文が大幅に増えていて、半年後の掲載になるけれど、吉田君は(就職しているから)問題ないよね」と言われ、あわてて「いや、それならば掲載証明書を送ってください」と答えたので、「えっ、そうなの?」と苦笑いされた。その場には、11月の学会帰りの新幹線の中で香大の公募情報を教えてくれた青山学院大のM先生も居合せ、「香川大学ですか」とニヤり。激しく困ったことを懐しく思い出す。

  • 5/23 2泊3日の学会出張から帰宅。久しぶりの知的刺激を受け、遠路はるばる出席した甲斐があったというものだ。
     最近、高松ではすっかり讃岐弁の生活をしているのだが、東京に行けば、昔とった杵柄で東京弁に戻るであろうと思っていたが、全然ダメ。変な関西弁風の話し方しかできなくなっていた。ちょっとショックであった。

  • 5/20 明日、学会出張で上京。ほとんどお上りさん気分です。ただ台風が関東に接近しているとのことで、飛行機が飛ぶか、ちょっと心配。

  • 5/17 40歳となる。思い返すと20代は東京の国立、30代は横浜で過したが、40代の生活を故郷高松で始めることになろうとは夢だにしていなかった。ただ故郷とはいえ、香川大学は新天地。新らたな機会を頂いたことに感謝し、次の一歩を踏み出していきたい。
     今日は二度目の給料日。前任校に比べると大幅な減収が確定。さらに40歳になった証としてさっそく介護保険料が天引きされていた。あざといなぁ。

  • 5/16 少しずつだが、前任校の最後の時期に経験したことを書きとめておこうと思う。暴露話的なことにも触れることになろう。
    (この雑感は一旦は書いたものの、トップページには掲載しなかった。2004年5月16日記、9月29日追記、11月6日追記および別ファイルへ)

  • 5/15 横浜時代の土曜日は学会や研究会やらで、家族とゆっくり過すことももままならなかったが、高松の土曜は家族一色に染められている。今冬は家族サービスをまったくできないような精神状況であったから、その分の償いをしているつもりである。ただアカデミックな世界から隔離されたような気分であり、来週末の社会政策学会の大会が待ちどおしい。
     酔いにまかして久方ぶりに英語バージョンのページを更新した。

  • 5/11 色々と書きたいことはあるものの、故郷ではすっかり小市民的生き方に染まりつつあり、このトップページでは黙りを決めこむのもありかなと思ってます。書いてはみたもののちょっと表ざたにするには問題があるかなというのはそのままお蔵入りさせる手法を用いていたりします。わざわざ悶着おこしてもしかたがないですし。。。

  • 5/10 久しぶりに前任校の(学生が主催している)掲示板を眺めていたら、俺のことについて触れた書き込みあった。要約すれば〈商学部から大勢の教員が辞めたけれど、人気ゼミの教員は全員残っているから安心しろ。大勢ゼミ生がいて辞めた教員も「やや左」だったから問題ない〉という内容で、どこかの掲示板からの引用をはりつけたものだった。「やや左」って何だよ。特に「やや」っていう中途半端なところが引っかかる。
    気になったので、ネタ元を2ちゃんねるだと目星をつけて探してみると、大学受験板に元の書き込みを発見。そっちのほうでは、その後の書き込みに、ほぼ同じ文脈で「左気味のゼミ」とも書いたレスもある。なんだかレッテル張りが酷くて腹が立ってきた。
    俺のことを「やや左」としか言ってくれないのは別に良いにしても(笑)、ゼミは左翼気味でも、左効きでも、左巻きでもない。ゼミの内容は、サラリーマンの仕事と生活というしごく小市民的なものだし、町工場探検なんて非常にプチ・ブル的な研究だ。特に言っておきたいのは、「左気味」なゼミ生なんぞ一人もいないということだ。それを何故、「左気味のゼミ」とレッテル張りしなければならないのか。ちょっと噴飯ものだ。
    あまり言いたくはないのだが、その書き込みには、およそ学生が思いつきそうにもないデータや人名がぼこぼこ上っていて、元○僚が書き込みしていることはほぼ間違いない。大方の目星はついている。まあ、こっちは「立つ鳥、後を濁す」というわけで、労組の書記長という重責を放り出して辞めたのだから何を言われてもしかたがないのだが、ただゼミ生を巻きぞえにするのは勘弁してもらいたいところだ。
    元○僚としての仁義にもとることだと思う。
    (この雑感は一旦は書いたものの、トップページには掲載しなかった。2004年5月11日記)

  • 5/7 連休中に捕まえたヨシノボリなどの川魚を鑑賞しながら酒を呑む。前任校で辛苦を味わされた最後の数ヶ月、深夜酔っぱらっては何時間も川魚を眺め、随分と荒んだ心を癒していたことを思い出す。その時飼っていた魚たちは、引越しに際して市大時代の同僚に引きとってもらった。熱帯魚を趣味としていたその彼も、四月に会ったときには川魚に癒されているとのことで、いろいろと魚も増やしていると話してくれた。
     華美な熱帯魚とは違い、地味でありふれた魚たちなのだが、それでも個性豊かで愛敬がある。平凡な川魚の持つ個性の素晴らしさが、騒々しく派手さを競う「改革」で痛めつけられた心を癒してくれていたのかもしれない。
     そんなことがあったので、溜め池の多い香川は川魚もさぞ豊富だろうとちょっと期待して故郷に戻ってきた。実際、子供の頃には親戚のいる田舎に行って、溜め池や用水路で魚とりや釣りをした。田んぼ脇の用水路をちょっと網で掬えば色々な川魚が沢山とれた。そうした思い出を辿りながら、懐かしい場所を歩いてみた。しかし、期待は見事にうらぎられた。溜め池にはブラックバスやブルーギルばかり。また用水路もコンクリートに覆われて魚の影も見えず、あてが外れてしまった。魚影の濃いところを見つけるには、車で随分と川の上流にまで行かなければならなかった。
     いろいろとネットで事情を調べていると、どうも土木行政に問題があるらしく日淡魚をめぐる本県の事情は寒々しいものとなっているらしい。また、風光明媚で知られる瀬戸内海だが、その環境破壊に警鐘を鳴らした四国新聞の連載記事を見つけ、その惨状に唖然としてしまった。自然の豊かさを誇った我が故郷も随分と様変わりしてしまったようだ。以下はそのリンク。興味を持たれた方は是非、御一読ください。
    消えゆく日本の淡水魚たち
    連鎖の崩壊:新瀬戸内海論

  • 5/6 連休明け早々の授業。また今日から大学院の授業が開始。大学院の授業は7限目に割りあてられていて、午後7時40分始まり。学部の授業が2限目で午前10時30分〜12時までなので、8時間近くが待機時間ということになります。研究室から自宅まで徒歩5分なので、自宅待機でもいいわけなのですが(笑)。

  • 4/26 赴任して1週間目の頃だ。他学部の教員が私の部屋を訪ねてきた。市大出身だと語るその人は、いろいろと専攻分野の話をひとしきりした後、「新聞を読む限りじゃ、市大の改革は素晴しい云々」と語り始めた。曰く、「香川大学は改革がまったく進んでいない。市大のように先頭を切って改革をすることは非常によいことだ。」、「アメリカの大学は全て任期制だ。だから日本の大学でも任期制を導入する必要がある」等々。
     遠く離れた当事者以外の人間が何を言うのも自由だろう。しかし、昭和の時代ならまだしも、このインターネットの時代に、新聞、それもその殆どが当局側のみを取材源とするような提灯持ち記事しか読まないで、全てを知っているかのように価値判断を下せるとはお目出たい。それも自分の母校であるにもかかわらずにもだ。
     彼のわかった風の御高説がひとしきり続く間、私は煮湯を呑まされるような思いであった。自分がどんな思いでこの大学に移ってきたのか。ゼミ生や同僚たちと離れるというのがどんなに辛い決断であったのか。市当局や市労連は市大の教員をどのようにしようとしていたのか。「とっとと、出て行けこのバカ野郎」と塩を投げたくなった。しかし、赴任そうそう喧嘩をするほどの大人物ではない。小市民たる私は、彼が研究室を出ていった後、「バカの壁」と小さく呟くだけであった。(掲示板記載分)

  • 4/26 久しぶりの更新。先月、市大のゼミ卒業生が開いてくれた送別会と、市大時代最後のゼミ合宿(8期生)の記録を掲載。
    おかげ様で香大でのゼミ1期生は9名となり、先週末に第一回目のゼミコンパを行ないました。

  • 4/26  ようやくゴールデンウィークが見えてきて、駆け足続きだった転任の日々に一段落つけられそうです。
    さて高松の生活はうどんと自転車の日々です。市内の各所へ行くのに自転車が欠かせませんし、昼ごはんは8割がたうどんです。今日も学生時代には知らなかった近所のうどん屋まで自転車でジーコジーコ。 早目のお昼ごはんにして、余裕をもって食べようと11時に店に行きましたが、同じ狙いのサラリーマンや学生でもう長蛇の行列。そのお店は天ぷらで有名なのですが、狙ってた海老天はもう売り切れてました。(掲示板記載分)

  • 4/16 やぼ用で横浜滞在中。今回はお忍びということだったのだが、 横浜駅で乗り換えをしようとしたら、去年までゼミ幹として がんばってくれていた新津さんにばったりと出会ってしまった。 350万都市なのに、こんな偶然があるなんて。。。(掲示板記載分)

  • 4/4 香川大学に転任して4日目。ようやく引越しが終り、新居での生活が始まった。とはいえ、研究室の荷も解いていない状態で、まだまだ整理の日々が続く。20年ぶりの高松での生活は、予想どおり慌しい始まり方となった。
    インターネットへの接続環境は貧弱な状況が続いているので、とりあえず掲示板の方で日々の雑感らしきものを記しています。

  • 3/24 明日は卒業式。今年の卒業生とともに市大を去ることになる。現在行なわれている「改革」という名の大学破壊が嫌で辞めることを決意した。今はここまでしか書けないが、「改革のせいで辞める教員が増えているのではない」と、学長が市議会で強弁しているだけに、この点だけは明らかにしておきたい。
    しかし、長期的な視点からは市大の将来には楽観している。幸いなことに横浜市大の教員と学生には優秀な人が多い。真理を追い求め、より高い知性を得んとする彼・彼女らの欲求は抑えることができないからだ。このため大学の研究・教育を切り縮めんとする官僚によるこの「改革」は、早晩変質せざるを得ない。
    戦前の学校がそうであった。職人養成のための東京職工学校が東京工業大学になり、丁稚養成の東京商業学校が東京商科大(現、一橋大学)へと変身してきたのである。学生たちが実学重視の教育に飽きたらず、高度なアカデミックな学問を志向するようになったためである。優秀な人材さえ集まっていれば、なんとかなる。時間はかかるだろうが、コミカレ的発想を越えて再度、市大らしさを取り戻す時期が来ることを信じている。
    ただ、この不毛な時間に付きあわされることは、非才な私には致命傷になりかねないと感じた。だから敵前逃亡せざるを得なかった。迷惑をかけぱなしの同僚の先生方や学生たちには申しわけなく、前途に幸があらんことを祈念している。
    (この雑感は一旦は書いたものの、トップページには掲載しなかった。2004年5月10日記)

  • 3/9 先週の教授会で割愛願いが受理され、この4月より香川大学経済学部に転任することが決まりました。9年間の市大での教育・研究活動を支えてくださった方々に御礼申しあげますとともに、今後とも変らぬお付き合いをお願いしたいと思います。
    さて転任に伴ない現サーバー(URL)での更新も3月一杯ということになります。とりあえず、緊急避難場所を作っておきました。3月後半からは以下のURLをご利用ください。
    http://myoshida64.hp.infoseek.co.jp

  • 1/21 昨日は3年ゼミ生の共同研究の報告書作りで、23時過ぎまで作業。ゼミ生ともども、深夜へとへとになって帰る。まだ手直ししなければならないところはあるが、ほぼ印刷所へ出せる程度にまで仕上がった。皆さん御苦労さまでした。

  • 1/1 新年明けましておめでとうございます。今年度もよろしくお願いします。

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